先日、緻密な理屈が好きな友人が「三省堂の辞書(新明解か?)に「《過半数》とは《半分以上》」とあった。ついては今まで当然としていた解釈は間違っていて、半分以上つまり総数100人なら51人からでなく、50人から100人が《過半数》になるのでないか」と問題を提起してきた。
私は「その辞書は不正確、もっと言えば誤りだ」と言ったが、「天下の三省堂の辞書が誤っているのはおかしい」という風にその顔は不満げだった。
そのため私は、彼の辞書の見間違いではないかと、帰宅してから手持ちの辞書を手繰ってみた。
その結果、
三省堂 明解国語辞典
過半=半分以上
三省堂 大明解漢和辞典
全体の半分以上の数
永岡書店 新編広語辞典
全体の数の半分以上
と、彼の言うよう1/2「以上」と書いてある辞書が見つかった。もっと簡便な実用事典類にもそういうものがあった。
彼の見間違い、読み間違いではなかった。
そも、《過半数》だとか《〇/〇以上》という語句は日本国憲法自体にも出てくる文字であるから、これは捨てておけない。
集英社 新修広辞典
全体の半分より多い数
新潮社 新潮日本語漢字辞典
全体の半分より多い数
岩波書店 広辞苑
全体の半数をこえる数
と、正確な辞書も当然にあった。また直接的に《過半数》ではないが、
ぎょうせい 法令解釈の基礎の「法令用語の意味」の章には
数量的限定をする場合、基準点となる数量を含む場合に用いられるのが「以上」「以下」、基準点となる数量を含まない場合に用いられるのが「超」「超える」「未満」「満たない」、
一定の数量を基準として、その基準数量を含んでそれより多いという場合には「以上」を、その基準数量を含まずにそれより多いという場合には「超」又は「超える」を用いるとある。
(公用文の作成要領の法令用語の章も同じ)
答えは明白で、100人の《過半数》は51人から100人で、100人の《半数以上》は50人から100人となる。
反対に、このことについては、ネット上の各種辞書は解りやすく、かつ正確であった。
辞書の誤りということでいえば私は白川文字学を思い出す。
白川静氏は漢字学の聖典ともいえる後漢(紀元100年)時代許慎が著した『説文解字』の誤りを発見したところから本格的に展開した。
例えば、『告』という漢字について、説文解字以降中国や日本で当然とされていた「角に横木をつけた牛が何かを口で訴えているようなので告げるの意」というのを「そんなあほな」と批判し「サイ」という言霊の入れ物を発見したのだった。
言いたいことは、「権威」のあるとされているもの(辞書)でも単純に信じるな!ということになるだろうか。
例えば、『告』という漢字について、説文解字以降中国や日本で当然とされていた「角に横木をつけた牛が何かを口で訴えているようなので告げるの意」というのを「そんなあほな」と批判し「サイ」という言霊の入れ物を発見したのだった。
言いたいことは、「権威」のあるとされているもの(辞書)でも単純に信じるな!ということになるだろうか。
辞書を作る話と言えば、三浦しをん著『舟を編む』も面白かった。
0 件のコメント:
コメントを投稿