にもかかわらずアマテラスやスサノオに比べてツクヨミ(月讀命)は格段に影が薄い。これは稲作民族の価値観の反映ではないかと、これまで何回か書いてきた。
稲作にとって空梅雨と冷夏は死活の難題だったから、太陽神、日光の化身アマテラスへの尊崇はよく解る。
〽月の砂漠を・・ではないがシルクロードの隊商は昼間は休憩し夜に行進した。果ての見えない炎暑砂漠地帯では夜間行進が当然で、月と星こそが羅針盤であった。
ギリシャ神話のような、星座にまつわる神話の発展もそれゆえであろうし、それに比べて列島のこの国の星にまつわる神話のあまりの少なさは見事に対照的である(七夕などは中国がルーツである)。
先日東大寺ミュージアムで、有名な日光菩薩、月光菩薩について、その仏像の「どこが日光なら日光である特徴なのか」と尋ねたが、そこの職員二人は「解らない」ということだった。そもそも日光菩薩、月光菩薩ではない可能性もあるようだ。
その後、高野山真言宗の吉田真譽師の講演を聴く機会があって、金剛界曼荼羅が月輪(がちりん)によって表されていること、満月が多く例えに用いられていることを知った。そして師がインドを旅した経験から、彼の地では昼間(日光)は容赦ない環境で、夜間に人々は安らぐと言う話を聞いた。
それであれば、大日経は中国ではなくインドで編まれたものに相違ない。
(掲載した絵は師の作品)
近頃の日本は、もう温帯というよりも熱帯地方と思われるほどの気候変動が実感されている。
寒がりの私も、だんだん昼間よりも夜間が好きになってきた。近頃は未明に南の空を見上げて、冬空の王者オリオン周辺のペテルギウス、リゲル、アルデバランなどを訳もなく眺めている。視力が急速に落ちてきて、スバルは見えなくなってきた。
0 件のコメント:
コメントを投稿