それよりも、出雲に神々が集うとの文献上の初出が12世紀半ばであることからも、廻国聖や御師による創作ではないかと私は考える。
陽である神々は、10月、つまり極陰の月に、都から見て極陰の方角である乾にある出雲に集いて世界は再生するという陰陽説に説得力を感じるが、証拠はない。
そんなことよりも、ヤマト王権の天孫の神々によって国譲りをさせられた地の神々の代表、中央の歴史書が本質的な部分で抹殺に似た扱いをした出雲とは何かということが気にかかる。
今読んでいる『越境する出雲学』岡本雅享は、非常に実証的で頷く事項も多い。
北九州、高志(越)から会津、新羅にまで出雲の足跡?は広がっている。
西洋人にとってコロンブスやバスコ・ダ・ガマが英雄であって原住民の歴史など見向きもされなかったように、忘れ去られた出雲の足跡を民俗学の方法で解いていった名著だと思う。
邪馬台国畿内説、北九州説に関わりなく、被征服者の代表たる出雲を見ずに日本の歴史は語れない。
そういう観点は、皇国史観、天孫の歴史で「戦後レジームからの脱却」を詠う日本会議的反動勢力に騙されないためにも大切な観点であろう。
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