2022年10月1日土曜日

清水公照師の書

   20211012日のブログの続きを書く。
 先ず「おさらい」をしておくと、私は、東大寺の有名な別当であった故清水公照師の書画を手に入れた。
   ところが情けないことに文字の一部を浅学ゆえ読むことができなかった。
 そこで、師の故郷にあり、師の多くの作品を所蔵されている『姫路市書写の里・美術工芸館』に問い合わせて教えを請うた。
 後日、学芸員の方が検討された結果の回答があり、『豚 山羊 沙州のニラを添えて食う 西域の営み 塵の朝  公照』で、は不明』。附記として、『清水公照は「中国・西域の旅」と題して、昭和635月に(敦煌、西安、北京)などの中国旅行をしています。沙州とは現在の敦煌(とんこう)周辺地域のことで、砂漠で有名ですが砂ぼこりなどが街に舞うそうです。この時の様子を描いたものと思いますので、「芥塵」「埃塵」かも知れません。』とあった。そしてこれはほゞ私の推測と外れていなかった。 
 ただこの文字が朝食に係るとすれば「羹」(あつもの)(羊羹の羹)もアリかと考えたのだが、その場合、次に付く「塵」以外の相応しい文字が見つからなかった。ただ、「羹(あつもの)の廛(みせ)」というのもあるにはあった。
 結局、私は勝手に、黄砂という言葉からヒントを得て、というか強引に引用して、西域の砂嵐を「黄塵」と言ってみるのが最もふさわしいと自分自身を納得させたのだが、もちろん、書や漢字の理屈の裏付けはない。
 こうして、『 豚 山羊 沙州のニラを添えて食う 西域の営み 黄塵の朝  公照 』と私は読んだ。(以上がおさらい) 


   それから1年が経過して、「支障のない程度の小骨が喉の奥に刺さっている」ような微妙な感覚で来たので、今般、改めて各種漢和辞典、さらに『くずし字解読辞典』や『五體字類』のページを繰ってみたところ、別掲(上記)写真のとおりの字(体)を見つけた。

 いずれも「帯に短し襷に長し」なのだが、埃はいくらくずし字だとしてもツチヘンが必要だろう、また「塵埃」がひっくり返ったとしたら文字に「味」がない。
 茅は、茅が広い野原を指すことから意味が通じるのではないかとも考えたが、矛の下がハネていないので採用できず、
 芥は、「塵芥」をひっくり返したわけで「塵埃」同様「味」がない。字体も微妙に合わない。
 結局、当初の思いどおり、黄砂の塵で「黄塵」ならくずし字としても許容できるし意味も許容できるように思ったが、
 最後に「莫」を検討したところ、「莫莫はちりほころが盛んに起こる形容」とあり、「莫は漠に通ず」ということもあるらしく、漠はそれ自体「砂漠」「ゴビ砂漠」も表しており、莫高窟旅行の最中の砂嵐を「莫塵」とするのも大いに有り得ると考えた。ただし、その熟語は発見できていない。

 よって、結論的には「莫塵」も捨てがたく心残りもあるが、発音の語呂の悪さもあり、元に戻って「黄塵」でもよいかと納得した次第。
 読者皆様のご助言を乞う。


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