師の故郷にあり、師の多くの作品を所蔵されている『姫路市書写の里・美術工芸館』に問い合わせても結論は出ず、結局勝手に、黄砂という言葉からヒントを得て、というか強引に引用して、西域の砂嵐を「黄塵」と言ってみるのが最もふさわしいと自分自身を納得させていた。
その結果が「黄塵だろう」という答えだった。
で、私の推理というか、ヤマ勘も立派なものだったと自惚れている。
ただ、その理由などについて、解読していただいた先生と直接「やりとり」できていないが、ちょっと自慢である。
『 豚 山羊 沙州のニラを添えて食う 西域の営み 黄塵の朝 公照 』
旧地名である「沙州」の敦煌は今は甘粛省の敦煌だが、すぐ西には玉門関と陽関がある。 漢詩 〽西のかた陽関を出ずれば故人無からん」 の陽関でその先は新疆に続く。
私が就職したころは、送別会というと先輩がこの詩を吟じてくれたものである。
新疆の現在というとウイグル人の人権問題があるが、とりあえずは今日の記事ではロマンあふれるシルクロードとだけにしておこう。
西域の砂嵐はけたたましく時には日本にまで届く。黄砂である。
清水公照師は黄塵、・・そんな砂嵐の中で朝食をとったことだろう。目に浮かぶ。
そして道草だが、この書は、仏教は原理的には肉食を禁じていないことを暗に教えていて面白い。南無~。
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