その理由は、小豆はよく皮が割れるので、つまり豆の腹が割れるので、それが切腹をイメージさせ嫌われ、皮の割れないササゲ(豆)が用いられたという。
さて我が一坪菜園のササゲだが、まあ何でもそうだが、収穫までは比較的簡単だが、いざ脱穀となるとこれが結構邪魔くさい。
そこで今年は妻が、昔ながらの大豆の脱穀を真似て棒で叩いて脱穀を行った。
その結果、大豆よりは皮が柔らかかったので、けっこう皮を破ってしまった。切腹だ。これではお江戸で商売(販売)できない。
ただし、わが家は武士でもないし切腹の連想もないから、そのまま、「うるち米+もち米」でささげご飯にした。
閑話休題(それはさておき) 六十干支(かんし)のスタートは甲子(きのえね)で、大正13年甲子の年に完成したので甲子園球場というのは有名だが、昔は「日」もその60日サイクルで数えられていた。父が存命だった小学生の頃、その甲子の日には大黒様の掛軸をかけて赤ご飯を供えるのが我が家の慣わしだった。
そんな思い出があるものだから、ささげご飯など赤ご飯には元気の素があるように感じたりする。善哉も吉祥や厄除けの食べ物とされている。
過ぎた60日の無事を感謝し、向かう60日の安寧をスタートの日に願うのは、素朴な先人の民俗行事であったことだろう。
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