2022年10月19日水曜日

表現者になる

   「室町時代に生まれた俳諧は元々人間生活の持っている”おかしみ”や”滑稽さ”や”ユーモア”を表現したものだった」とは、毎日新聞特任編集委員の近藤勝重さんの言葉。

 若い頃、俳句をしている大先輩から芭蕉の言葉として”軽み(かろみ)”という言葉を教えてもらったが、よく考えると芭蕉後に軽みが唱えられたのでなく、軽みは元々俳諧に備わっていたもので、それを川柳が今日に引き継いでいるという。なるほど。
 近藤氏に言わせると子規あたりからの俳句はそこを忘れて?少しスマシタものになったと私は聴いた。

 ”聴いた”というのは、毎週土曜日MBSラジオ『しあわせの五七五』の15日朝の放送でそう聴いた。近藤流健康川柳道場のコーナーで、これはポッドキャストで何時でも聴くことができる。

 そのコーナーで近藤勝重氏は、「人生80年として60歳以降は人生の後半戦に入る。そのセカンドステージをどう大事に生きるかとすると、表現者になることだ。企業社会の中でないがしろにされてきた自分本位の人生に切り替えていくためには文芸とりわけ川柳を始めるのが良い」と語ったのが大いに胸に響いた。(川柳ときたのは近藤氏だからかもしれない)
 川柳に拘らず、自分史でもいいし、文芸でもいい、誰に気兼ねすることもなく”私はこう思う”と表現することが人生の仕上げになっていくようだ。大いに頷く。

 歳を重ねるといろいろ健康に問題が出るし、だいたい今さら新しいことに挑戦するのは面倒だ。・・と、後ろ向くか、それともかけがえのない大事な人生だと前向くかだけの違いでないか。
 アイデンティティという言葉がよく言われたことがあったが、広い意味で表現は自己の存在証明だろう。
 とすると、こじつけではないが、例えば高齢者にとって、機関紙活動への投稿(依頼)はその方のセカンドステージを真に豊かにする”ものすごい”アイテムではなかろうか。

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