2020年9月14日月曜日

小さきもの

   松岡正剛氏の『日本文化の核心』という本に『小さきもの』という章があり、ポケモンから柳田国男から記紀から清少納言からいろいろ牽いて、「小さいものは美しい。(そこに止まらず)とても大事なものに感じる。そこが(日本文化の)ポイント」と述べ、短歌、俳句、茶室、小庭(さにわ)、盆栽から小型で高性能の家電製品などに話が及び、ここにも日本文化の一端があることを指摘している。

 なるほど「小さきもの」は「わび・さび」の美意識とも重なるようだと、根付けに似たスマホのストラップを見ながら私は頷いた。

 ところで私は8月16日のブログ「津軽の拳(けん)」で青森県人会の重鎮Tさんが、「青森県人は高いもの、広いもの、大きいもの、重いものが大好き」と語ってくれたことを書いたが、前述の「小さきものが日本文化の核心」という松岡正剛氏の見解とこれはどう整合するのだろう。

 この頃はあまり流行っていないが日本民族の二重構造論というのがかつてあった。

 乱暴に言えば、原日本人たる縄文人は日本列島全域に結構均一の文化を築いて居住していたが、朝鮮半島から北九州経由で弥生人が大量に渡来してきて日本列島中央部の文化を作ったため、北に追いやられた縄文人が蝦夷で、南に追いやられたのが琉球人だ‥というようなものだった。

 「小さきもの」が中央の弥生人の後裔による文化だとしたら、青森の文化は縄文のスピリッツだろうか。あのバカでかい「ねぶたとねぷた」を思い浮かべながら、あまり根拠もなくそんな妄想を私は楽しんだ。

2 件のコメント:

  1. 間違いなく私は「弥生人の末裔」でしょう。根付、印籠、水滴、からプラモデル、ペーパークラフトに至るまで全て「小さきもの」が大好きです。いずれコレクションを写真集にしたいと思っています。南に追いやられた縄文人が琉球人だという説は肯定できます。沖縄の古い口語が大和ことばと通じているという説があったように思います。

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  2.  ひげ親父さんコメントありがとうございます。確か「鳥の目・虫の目」みたいなテーマで宮崎駿が「日本人は虫の目を持っている」というようなことを言っていたように思います。
     同様の指摘は奥本大三郎が「日本人の目は風景を見ていなかった」というように言っています。要するに精巧な細部が好きなのですね。安土桃山の利休にたどり着くのでしょうか。

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