1980年にテレビで放映された『シルクロード』のデジタルリマスター版がいまNHK BSで再放映されている。
撮影・製作が40年前という歴史の隔たりは自分の頭の中で修復しつつ、楽しく観賞している。
主人公は、後の中華文明が北狄、西戎と呼ばわった民族と文化である。思いつくままに挙げてみると、モンゴル、チベット、ウイグル、ソグド、チュルク、トリキスタン、カザフ、キッタン、タングート、マンジュ、ペルシャなどなどの民族名が出てくる。
そして実は中国の中原や北半分等に大帝国を築いたのも少なからずこういう遊牧民であった。
しかしながら日本では、いわゆる農耕漢民族を文明人と見て、この種の遊牧民を「野蛮人」と見なす歴史観が大勢ではないだろうか。『シルクロード』の基調もなんとなくそんな気がしないこともない。
そんなもので、近いところでは楊 海英(モンゴル名オーノス・チョクト)著『逆転の大中国史―ユーラシアの視点から―』を読み返し、古いところでは1966年の江上波夫著『騎馬民族による征服説』と2015年のシンポジウム『騎馬文化と古代のイノベーション』を読み返した。
それぞれの大論文を要約する能力は今のところない。
ただ改めて、”定説のような枠”を超えて思考する”感動”を覚えたことは付しておこう。
かつて奈良公園の一角に江上波夫コレクションが展示されていて、私はよく見に行っていた。今は県立橿原考古学研究所付属博物館に移されていて(私は遠くなって)残念だ。
ところで、江上波夫氏の『騎馬民族征服王朝説』については、シンポジウムのコーディネーターの上野誠氏が次のように述べている。
◆ 江上波夫の騎馬民族征服王朝説という学説は、三つの点で不思議な学説である。
第一は、古代史でこれほど著名な学説はない。・・・江上の専門は東アジア考古学で、・・・この巨大な仮説が立てられたのは、その視野の広さによるところが大きい。日本、朝鮮半島、中国はもとより、北方アジア、西アジアに及ぶ見渡しがなければ、こういった学説は生まれてこなかったであろう。
もう一つは、提唱後70年経った今も・・・再検討される学説だということだ。このような学説は他に見当たらない。稀有な学説なのである。
三つ目の点は、学説の一部について支持する学者はいるものの、学界において積極的な支持者が皆無だということである。であるにもかかわらず、無限の示唆を与えて、学界を刺激している点がおもしろい。◆
時代は古市・百舌鳥古墳群の時代である。いわゆる河内王朝論とも重なる。
応神は仲哀が死亡してから十月十日経って生まれたとされている。日本書紀に誘導されずに高所からその時代を俯瞰する必要があろう。
西安を経ずに、日本文化の相当な要所にシルクロードの騎馬文化が押し寄せたことは間違いない。と私は思う。
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