2020年9月26日土曜日

雪隠詰めとマトリョーシカ

   昨日発送したミニコミ紙では私と編集長との間で幾度となくメールをやり取りした。主にトップ記事の見出しについてである。編集長の原案は『安倍首相辞任!またも政権投げ出し 菅新首相は安倍政治を継承』であった。「名は体を表す」を重視すればこの「大見出し」(おおみだし)は的確だと思う。それに本文執筆も編集長であるから執筆者の「思い」は尊重されるべきである。

 ただ、私としてはちょっと冒険をしたくなった。この大見出しの文意には何の異論もないが、大見出しとしては少し「当たり前すぎ」て「本文に何が書いてある?」「本文を読んでみたい!」という興味を沸かせるような魅力に乏しくないかと感じられた。頭の奥で「5年前の戦争法の時のSEALDSはメッセージの内容と同等以上に”メッセージの伝え方”について侃々諤々検討した」という話を思い出した。

 結論をいうと『安倍首相雪隠詰めで 菅は安倍のマトリョーシカ』にしたのだが、「雪隠詰めもマトリョーシカも”伝わるだろうか”」ということで編集長と幾度もやり取りした。私としては「何やそれは?」という疑問も含めて本文に興味を持って入ってくれたらという気持ちと、「ちょっとクスッと笑ってくれないか」という思いもある。・・と言いながら”独り善がり”でないかという迷いも残っているが、これまでもいろいろスベッたことも含めこういう挑戦でこれまでも生きてきたと自分で自分に居直っている。

 編集長は「編集後記」に次のように付け加えてくれた。『雪隠詰めとは 将棋用語。 将棋で、王将をまるで雪隠(便所)のような盤の隅に追い込んで詰める(詰められる)こと。転じて、逃げられない状況にまで追い込む(追い込まれる)こと。 マトリョーシカとは ロシアの民芸品の人形。上下に分割でき、その中には一回り小さい人形が入っている。これが何回か繰り返され、人形の中からまた人形が出てくる。基本的には同じような顔の人形である』

 齋藤孝著『語彙力こそが教養である』(角川新書)という本がある。そこで著者は、SNSやはては日常の会話でも「すごい」「やばい」「なるほど」「たしかに」「かわいい」「まじ」を多用する若者を紹介し、「言葉は身の文(あや)」と嘆いている。私は「雪隠詰め」も「マトリョーシカ」も我がミニコミ紙読者には「常識語」だと編集長に言ったのだが・・・

 蒟蒻問答(餅屋問答)みたいな大見出しだが、「なんのこっちゃ」「センスはもう一つ」など大方のご批判をいただければ幸いだ。(蒟蒻問答(餅屋問答)は落語の名作。その解説は割愛)

4 件のコメント:

  1.  編集後記についてSさんから、「雪隠詰めやマトリョーシカが若い人にわかるだろうかとあるが、読者に若い人はいるの?」と冷やかされました。このニュースの読者なら「わからん奴はおらんやろ」とも。

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  2.  Kさんから「編集後記がよかった」と感想をいただきました。

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  3.  もっと「そうだよなあ、メッセージが伝わるようにと苦労しているが、特効薬はないしなあ」というような共感のコメントがあるかと思ったのだが、皆さんはそういう心労がないのかしらん。

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  4.  マトリョーシカに比べて雪隠詰めの方が正解率が低かったようだ。藤井聡太二冠、雪隠詰めを見せてね。

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