2020年9月5日土曜日

ホンネのトコーソー

   地方自治というか少しでも公務のことを知っている者なら、村よりは町、町よりは市、普通の市よりは中核市、中核市よりは政令市(政令指定都市)になってその分自由度の高くなる権限と予算を住民自治のために発揮したいと願うものだ。これは常識に属することである。

 だから桁違いに予算の潤沢な東京でも、特別区は「区をやめて市にしたい」と要望している。
 なので、テレビのワイドショーなどの東京のコメンテーターは、「なぜ大阪市でトコーソーを議論しているのかが判らない」と口を揃えている。

 その上に、「二重行政」も「無駄を省く」も全く実体のない、それどころか市民の福祉、セーフティネットにとって有害極まりないことがこのコロナ禍でも証明されている。

 そんな「大阪的」に言えば「儲からない」構想がなぜそこそこの支持を得、維新が支持されているのか。
 私はただ一言、その宣伝文句が「一部大阪人の東京コンプレックス」をくすぐっているからだと思う。

 その精神的土台を作っているのは在阪テレビ局である。
 曰く、「東京の嘘っぽい建前論に対してホンネの大阪」「東京がなんぼのものじゃい」で、多くの在阪テレビ番組やコメンテーターなる少なくないヨシモト芸人によってそれは繰り返されている。

 私は若い頃東京にいた。特にこだわることも力むこともなく大阪弁を貫いてきた。しかし、大阪から東京に来て、やたらに下品な大阪弁をこれよがしに大声で語る集団(決して一人ではそうではない)がいて恥ずかしい思いをした。言外に「私はコンプレックスを感じてます」と宣言しているように見えた。

 「東京が都なら大阪も都と言いたい」。そんな恥ずかしい立ち居振る舞いはいい加減にしてほしい。
 わが家のルーツは船場であるだけに、維新のトコーソーに見え隠れする下品さとコンプレックスに私は悲しんでいる。

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