2020年8月1日土曜日

梅雨は明けたが

    狙い撃ちされたかのような豪雨かな

   7月31日に近畿地方の梅雨明けが宣言されたが、16時前にわが家周辺には集中豪雨があった。
 「これは梅雨の雨でなく夏の雨だ」というなら(梅雨明け前の)前日もこんな豪雨だった。あれは梅雨の雨だったのか?そんな定義はまあいいが。

 梅雨前線が絵に描いたように北上したわけでないケースでの梅雨明けの宣言は難しいと、昔、全気象岡林元委員長に聞いたことがある。
 だいたいが「梅雨明け十日」といって1年で一番天候が安定してカンカン照りになるはずなのに、やはり地球環境がおかしく異常気象が日常になってきた。

 31日のその時間は孫の療育園の送迎バスのお迎えの時間なので急遽娘の助っ人に駆け付けた。
 集中豪雨の中でびしょぬれになったが、帰宅をしたら陽が射してきた。何が梅雨明け十日だ。

 さて昨今のコロナ禍だが、硬い言葉だが「資本主義による物質代謝の攪乱」と言われていて、環境破壊によって野生動物に止まっていたウイルスが人間に移ってきたということらしい。
 「ウイルスの貯水池」といわれるコウモリも、コウモリからすれば人間から離れて暮らしていたのに、開発ですみかを追われ、あげくは捕獲されて市場で取引されて迷惑な話である。
 31日のNHK『ぐるっと関西』で笠置のコウモリ博物館や奈良県図書情報館のコウモリ探鳥?会が報道されていたが、やさしくコウモリを見守りたい。

 「資本主義による物質代謝の攪乱」では、山極寿一京大総長も「誰もが資本主義は限界だと感じているのではないか」と述べておられる。
 私たちは医学も注視しつつ哲学を今一度思考する時代にいる。

 ステイホームで鬱々としていたところにGo Toトラベルが始まったので何か出かけてみたくなる気持ちは分からないわけではない。しかし、社会の現状を自分の頭で考えるのでなく、政府がGo Toと言ったからといって安心したり行動したりするのは褒められたものではない。
 コロナが収束するまで何もしないというのも問題だが、政府に言われるまでもなく新しい生活スタイル、人生観を確立する努力が求められていると思う。

2 件のコメント:

  1.  昨夜は久しぶりに星も出ていた。そんなもので洗濯物を軒の外に干しておいたところ今朝見ると見事に雨でびしょぬれになっていた。何が梅雨明け十日だ。
     「備えあれば患いなし」。ハイ。

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  2.  雨でなくても夜露があるから軒の外は論外だと叱られました。

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