2016年5月29日日曜日

楽しい邪馬台国論争

 
   酒席のお気楽な話である。
 大阪という土地柄もあり、結構古墳巡りを趣味にしている方が多い。
 なので私が「先日は橿原市の円形周溝墓の現地説明会に行ってきた」と話すと「それでそれで」となった。
 で話が進み、私が「従来近畿にはないと言われていた円形周溝墓が見つかったことで、邪馬台国九州説がトーンダウンするだろう」と述べたところ、
 「邪馬台国畿内説は好きでない」という方がおられた。
 理由は、「邪馬台国畿内説はどうも天皇家の歴史を飾ろうとしているようで・・」ということだった。

 そこで私が、「日露戦争後の明治に邪馬台国論争(九州説)を打ち出した東京帝国大学白鳥庫吉の真意はその反対だったと言われている」「支那(魏)の皇帝に服従した卑弥呼が天皇家の祖先であってはならない」「故にそれは九州の一豪族であった」というイデオロギーだったと意見を述べて話題は盛り上がった。

 そう、そもそも邪馬台国論争というのは古代史ではなく近代史なのである。
 奈良女子大 小路田奏直教授の著書から引用すれば・・・、
 『列島社会には、中国文明の圧倒的な影響を受ける前に、その影響を全く受けない時間が長く存在した。その中で、その後どんなに中国文明の影響を受けても、そのぐらいでは消滅させられない固有文化が形成された。それをいうためには、邪馬台国が九州にあり、三世紀の段階では九州までしか中国文明が及んでいなかったというのが必要だったのである。そして、日露戦争後の日本にとって、日本文化の固有性、非中国性を語ることは、極めて重要な課題になっていた。日露戦争に勝ち、ようやく「脱亜入欧」を完成させた日本にとって、アジアの一員であることは、もはや自らのアイデンティティーを語ることにはならなくなっていたからであった』と。

 ・・・今年の正月には各地の神社で憲法改正を求める署名が行われていた。
 つい最近は、G7サミットの出迎え行事が伊勢神宮で行われた。
 それもこれも、前述の近代史(皇国史観)の残滓であろう。
 それ以前の、古代史から近世史までをいうなら、陰謀、殺人、レイプ、不倫のオンパレードであるが、それを現代の基準で顔をそむければ歴史学は成り立たない。
 そして、現代に蠢く悪しき近代史は正面から議論して批判しなければならないと思う。
 子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し。
 その場合、歴史の知識をまったく無視をしたのでは説得力が薄弱になる。

 例えば、G7に関わって、日本会議の人々が古代史の伊勢神宮をもって日本精神という気であれば、「太一」印をはじめとして、少なくない伊勢神宮の教義や祭祀の基底に中国の道教の影響が色濃くある(福永光司・千田稔・高橋徹著「日本の道教遺跡」)事実を指摘して、その日本精神なる説の誤りを糺しておきたいが如何。

1 件のコメント:

  1.  邪馬台国論争というのは近代史の課題である。伊勢神宮の基底には道教がある。・・こんな話面白くありませんか。

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