2016年5月20日金曜日

名前は知らない

   NHKの『ぐるかん』(ぐるっと 関西 おひるまえ)の『ひと坪ガーデン&田んぼ』の はた あきひろ 先生が駅の近くにお住まいだ。
 『ひと坪ガーデン&田んぼ』の現地でもあるから、散歩がてらに見学している。
 先生のガーデニング講座も2回受けたことがあり、ガーデニングのテクニックよりも、植物や自然を愛する姿勢に感銘を受けた。

 先日妻が帰ってきて開口一番「はた先生が近くの研究所の外構リニューアル工事をされているから見ておいで」と私に告げた。
 妻は見かけただけでなく話してきたらしい。
 なので私があいさつしたときに、「歩道橋を越えた直ぐのお宅ですね。花と野菜の庭でいつも見ています」と言っていただいた。
 「シワシワのレタスは虫に強い」というように「はた先生」の助言を受講後すぐにとり入れたり、連作障害については無視をして失敗したりしているのが丸判りで恥ずかしいがしょうがない。

 今春は畑をほんの少し拡大し、夏野菜の種まきや苗の植栽も終了した。
 花の方は今春の追加はほとんどなく、元々の宿根の草木が次々に主役交代しながら庭を飾ってくれている。

 で、写真の花だが、まず名前を忘れた。
 いつどのように手に入れたのかも思い出せない。
 花が咲くまではどんな花だったのかも想像できなかった。
 しかし、そういえば何年も前から庭の片隅にあった。
 花が咲いていない間も銀色の葉が美しいのに、なぜか我が家では影の薄い可哀相な花だった。
 念のため、「アザミに似た花」で検索をすすめたら、「セントレーア・ギムノカルパ」と出てきた。
 そんな大層な名前だったかな?と思うがそうらしい。
 少し人工的な匂いがするほどに美しすぎるから、なんとなく私が異端児扱いしてきたのだろう。
 
 マイガーデンのコンセプトは通行しながらみなさんに楽しんでもらえるオープンガーデンである。
 だから、この花をもっと一等地に引っ越しさせてやっても良いが、得てしてそんな時に限って草木を弱らせてしまうものだ。…悩んでいる。

 タイトルの「名前は知らない」は、様ざまな記憶に自信が持てなくなった自分自身へのツッコミだが、寺山修司作詞『戦争は知らない』ザ・フォーク・クレセダーズ(〽野に咲く花の 名前は知らない)にも掛けてみた。
 今、あの反戦歌の時代よりもその歌詞に現実味が感じられるのはどうしてだろう。

   追記する。You Tube でカルメン マキのライブを見つけた。


6 件のコメント:

  1.  カルメン マキの動画を追加しました。
     是非、お聞きください。

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  2.  今月新しく買った大画面のパソコンで、フル画面でカルメンマキを見せてもらいました。この歌がカルメンマキの歌とは知りませんでした。カルメンマキと言えば「時には母のない子のように」とアングラのイメージしかありませんでした。見てる人も私と同世代の人が多く親近感がありました。最後のクルクルパーが特に良かったです。

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  3.  私も『あの当時』のカルメン マキは特別に好きでもありませんが、この歳になって、あの歳のカルメン マキを視聴すると何か感動しました。
     4,50年タイムスリップしたような気分にもなりました。
     バラやん、コメントありがとうございました。

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  4. ご存知のことと思いますが作詞は鬼才「寺山修二」最初はラテンの女王「坂本スミ子」が歌っていました。よく労音のコンサートなどで聴きました。その後、寺山が主宰する「天井桟敷」の女優としてカルメンマキが入り、彼女をイメージして「時には母のない子のように」が創られ、この歌も彼女の持ち歌になったのでしょう。バラやん、クルクルパ~いいですね!

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  5.  バラやん、ひげ親父さん、イキイキとしたコメントに感じられます。いいですね。
     海外派兵の閣議決定や戦争法という現代をお互いに憂慮しながら、こういう思い出のようなものを楽しく語ることはいいですね。

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  6.  このブログを読んだ妻が言うのには、小さい頃「遊び場」だった千里の毎日放送でこの歌の作曲家の加藤ヒロシや坂元スミ子を追っかけていたそうです。
     「今のカルメンマキ」の方がずっといいというのは同意見でした。

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