北浜にあったその「白木屋大阪店」は、有名な東京本店の火事で閉鎖になり、その後はミシンができたので「松坂屋」の子供服売場に転職できたが、この二つのデパート勤めの頃が娘盛りといったところか。
「白木屋」の頃は朝日新聞が写真を撮ってくれて長い間「白木屋」のフロアに飾られたらしいし、北浜の有名な森田写真館のショーウィンドウにもポートレートが飾られたとチョッと自慢する。
「松坂屋」でも本社重役お越しの節に玄関先出迎係に選抜され、「大阪店にはすばらしい店員さんがいる」と誉められた結果、売場主任となって給与も破格の額を頂いたと楽しく語る。
そんな頃、「松坂屋」が大阪のメーンストリート堺筋にあったため、「恵美須町の角にあった蒲鉾屋で美味しい天麩羅を買って帰った。」と懐かしそうに語ったが、・・・チョッと待てよ!その辺りで十日戎のときに賑わっている天麩羅屋を見たことがあるぞ! ・・で、恵美須町に行ってきたのが写真の勇蒲鉾店である。
モダンガールも見た看板 |
「創業は何時ごろですか?」と聞くと、「私が60うん歳で、父の代からですから・・」ということで、母のことを話すと、「この辺で蒲鉾(天麩羅)屋はウチだけだったらしいから、きっとウチのことでしょう」とのこと、そして「屋根の看板は当時のもの」と付言してくれた。
何かガムシャラであった勤労者生活を卒業し、落ち着いて老朗介護に向き合ってから、こんな楽しい歴史物語に接することが出来るようになった。
大阪に白木屋があったのですか?小学校高学年の頃、祖母のお伴でいく百貨店は、三越でした。祖母は髪を結い、上等の着物を着ていました。祖母曰く「三越は格が上!」なのだそうで
返信削除店員と話す時もいつもと違い、何処かの御寮さんのような口調で可笑しかったのを覚えています。でも、買い物をする事は滅多にありませんでした。「高い(値段が)!買うんやったら近鉄デパートやで」と教えてくれました。
「三越は格が上」でしたね。船場の親戚へのお歳暮、お中元は三越でしたし、高島屋や、いわんや近鉄の包装紙では失礼に当るというのが、一昔前(親の代)までの習慣でした。
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