2011年5月17日火曜日

大いに冢を作る

 今日は昼から、小笠原好彦先生の「古代国家成立」の講義であった。
 特に記憶に残った3点を記しておこう。
 ① 「箸墓古墳は壱与の墓かもしれない。」 これは共感。因みに水野正好先生は「箸墓は壱与の墓」「卑弥呼の宮は現大和神社の下を掘ったら出てくるはず。」と予言(失礼?)している。
 ② 『倭人伝は「鬼道に事え、」と書いているが道教は入ってきていない。』 これは疑問。文字の国の史書は軽くない。仏教僧と国粋的な神道学者によって「道教は入ってこなかった」論が一般化しているが、そうだろうか。
 ③ 「四世紀末から巨大王墓が河内に移ったが、これは王権の移動ではなく、王墓造りを通じての土地の開発であった。」 これも疑問。ヤマト王権の中で河内の勢力が主導権を握ったと考えるのが自然でないか。

 参加されていた“当麻のぼたん”さんに言わせれば「古代史は言うたもん勝ちみたいなところがあるからなあ」。ははは同感。
 シンポや講演会に参加したり本を読んだりするたびに、「なるほどそうかも知れん」と前言を翻して日和る日々である。それが又楽しい。

 

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