88年前、大正12年5月、大阪築港大競技場で開催された第6回極東オリンピック、800mリレー予選にアンカーで出場した思い出。
人見絹枝さん |
朝の4時半に堺を出発して、少しの電車利用と圧倒的にはただただ歩いて市岡の会場に到着し、ふらふらで出場したらしい。
「あんなに足の動かなかったことはない」と悔しがる。
その組では1位であったらしいがタイムに達せず予選落ちとのこと。
いでたちはスカート(袴?)をブルーマーのように加工したスタイル。
「会場をトレパンをはいて動いていた人見絹枝さんの姿が眩しかったなあ」と昨日のことのようにため息混じりに目を細める。(トレパン姿の女性はごく少数のトップアスリートだけだったらしい)(オーラを放射した人見絹枝さんが瞼の裏に見えているような表情だった)
「会場をトレパンをはいて動いていた人見絹枝さんの姿が眩しかったなあ」と昨日のことのようにため息混じりに目を細める。(トレパン姿の女性はごく少数のトップアスリートだけだったらしい)(オーラを放射した人見絹枝さんが瞼の裏に見えているような表情だった)
山下さんという女性(アスリート?)もいたが・・名前は思い出せない。
その年の9月1日、堺でも大きく揺れた。大正12年、88年前。
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