2025年7月10日木曜日

小笠原古代史講座は楽し

    小笠原好彦先生の古代史講座を受講している。受講しているといっても一月に半日講義を聴いているだけである。
 
 元々、私は古代史や日本史そのものに興味も知識もなかったが、アベ・ネトウヨと呼ばれるような人々が歴史の改竄を公言し、国会の場で大臣が「神武天皇は実在し、西暦・紀元前660年に即位したと信じている」などと発言するのを見て、最低限の勉強が必要だと思って飛び込んだちょっとした勉強会から派生して小笠原先生の古代史講座に出席するようになった。だから、最初はマグレのような出会いだった。
 小笠原好彦先生は、国立奈良文化財研究所で発掘等の経験を積まれたのち、滋賀大学や明治大学で教鞭をとられ、現在、滋賀大学名誉教授、博士として執筆や講演を重ねられている。

 先日は、「富雄丸山古墳の発掘とその被葬者」という講義であったが、結論の結論だけをつまむと先生は、仲哀天皇の長男?にあたる麛坂(かごさか)王の墓と推測されるということだった。その根拠は種々あるが、その一つが日本書紀仲哀2年正月11日条、同神功皇后摂政元年2月条、同3月5日条である。もちろんこれ以外の根拠は豊富にある。
 ところで、戦前は記紀神話が、疑うことが許されない「歴史そのもの」とされていたが、戦後は一転、推古以前の記紀の記述に歴史的根拠は「全くなし」とされてきた。その日本書紀の仲哀記、神功記を牽くのであるから、ある意味現代の学会の定説に挑んだ論ともいえる。
 戦前は津田左右吉氏の「古事記及び日本書紀の研究」等が発禁処分となり、津田氏も起訴されたが、形式的に言えば、それの裏返しぐらいに大胆不敵?な立論と言える。
 こういう先生の論理立てや定説などに迎合しない姿勢に私は大きな魅力を感じている。
 その先生が講義の終わりに、富雄丸山古墳の被葬者についてネットを検索したとして、私の「忍熊(おしくま)王ではないかと想像していたが外れたようだ」というブログ記事を紹介してくれて、的の中心から外れていたが方向は的の方を向いていた」と話してくれて照れ臭かった。
 先生の麛坂王説は、歴史に残る論文になるように思っている。興味のある方はコメントください。

1 件のコメント:

  1. https://yamashirokihachi.blogspot.com/2025/01/blog-post_27.html も読んでみてください。

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