2025年3月30日日曜日

休憩

体調不良なり 

2025年3月29日土曜日

春の香り

    今年は2月の寒波のせいか1週間ほど開花が遅れたが、庭の沈丁花が一斉に開花しその香りを放出している。ナルホド別名「千里香」には異議はない。
 沈丁花という名にしても沈香と丁子というのだから、この木が三大香木の一つであるという評価については揺るがない。
 この香りは、現役時代ちょうど人事異動の内示と重なるので、新しい業務。新しい環境への漠とした不安とセットで記憶されている。こういうのをある種の匂いフェチというのだろう。
 庭では沈丁花のすぐ側でボケの花も満開で、これも中国名では放春花、春の香を放つ花で、顔を近づけるとナルホドなのだが、わが家では沈丁花に圧倒されているので少し可哀そう。
    気象予報士は花粉と黄砂で外に出るなと教え諭してくれているが、これらの香りは私を庭へと誘い出す。
 花粉は嫌だが春は冬よりも好ましい。
 ただ、どこにも例外というものはあるもので、近所の栗の木も一斉に開花しムッとした香りをバラまいてくる。香りとか匂いというよりも臭いと形容したいが、しかしものは言いようだから、ここは春の生命力の香りということにしておこう。

2025年3月28日金曜日

酒席の防衛政策

    黄砂危険情報といっしょに春というか初夏までがやって来た。
 写真は26日(水)夕方、奈良公園氷室神社の枝垂れ桜。満開。
 その後、インバウンドの多彩な民族を掻き分けて居酒屋にたどり着いた。
 先日は某会報100号で思い出話を特集したが、後期高齢者の酒席は放っておいても思い出話に時間を忘れた。
 その次の話題は現下のコメの値上がり。
 「買い占めている奴がいる」との農水大臣のアナウンスだが、コメは12度か13度で徹底した温度管理をしないとストックできないというのが農業に詳しい者の意見。
 JAあたりが本格的に行わない限り買い占め・ストック説はあり得ない(派生的に買い占めて利ザヤを目指す者はいるかもしれないが)。
 とすると、昨夏の異常気象(高温少雨)が直接的原因かもしれないが、構造的には減反政策の行き詰まりでないか。
 どこの国でも主食の安定確保は政治問題。
 美味しい米を作って農業が持続する収入を保証し、余ったコメは世界中の困っている人々への援助に回せばそれこそ最高の防衛力でないだろうかというのが一致した意見。
 羽釜も一緒に援助しよう。


2025年3月27日木曜日

ミナミのインバウンド

    日曜日に『やめてんか・カジノ万博パレード』に行ったことを一昨日に書いたが、パレードで御堂筋をミナミへ歩くと、外国人観光客の多いのがよく判った。
 特に道頓堀橋あたりから東の方の戎橋や道頓堀の方を見ると、雑踏という形容がぴったりだった。
 また近頃は御堂筋そのものも大きく変化していて、かつての各社の本社機能というよりも、高級ホテルの一角のように、世界的に有名な服飾品などのブランドの店舗が軒を並べている。
 早い話が御堂筋にしても戎橋・心斎橋筋にしても、「日本は安い!」とやってくるインバウンドに顔が向いていると見た。
 そこでだが、「日本は物価が安い」という実感が日本人にあるだろうか。価額の実感は収入(所得)に対する支出(値段)の問題だから、「物価が安い」と感じる外国人と比べて日本人の賃金、はては年金などの収入が低すぎるというのが本質だろう。
 かつての日本人が実感していたことでもある。
 テレビなどのコメンテーターも「日本は物価が安いから外貨で潤う」みたいなことを言うのでなく、「日本の賃金が安すぎるのでインバウンド公害が起こっている」と言うべきでないかと思う。

2025年3月26日水曜日

統一協会は宗教法人に非ず

    東京地裁は25日、世界平和統一家庭連合(旧統一協会)に解散を命じる決定を出した。
 文科省が、遅くとも1980年ごろから高額献金の要求や霊感商法が教団によって繰り返されており、賠償責任を認めた判決は32件あると指摘。和解や示談を含めた被害規模は約204億円(約1550人)に上るとしていて、こうした民法上の不法行為に教団の組織的な関与があったと認定。
    これらは宗教法人法で定められた解散命令の要件の「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」に当たると訴えていたことが認められたことになる。
 これに対して教団側は即時抗告するだろうと報じられている。

 ただ、良識ある市民が気を緩めてはならないことは、一般論として、洗脳された集団はこれを宗教弾圧、統一協会流にいえばサタンの仕業というだろうから、ある種の結束は強まる恐れがある。
 そして重要なことは、自民党や「ゆ」党の中に統一協会と癒着し代弁しようとする勢力が少なくないという事実だろう。
 旧統一協会のフロント団体勝共連合は暴力も含む反共団体として、彼らの「盟友」であったから。
 ここまでは市民の良識の勝利であったが、気を抜かずに民主主義を大事にしたい。そして反語的に言えば、次の参議院選挙で、統一協会とのほんとうの対決者、日本共産党を前進させることが、日本の民主主義を守ることになるのではないか。
 写真は先日、わが街の駅頭で統一協会がまいていたビラ。
 (統一協会はキリスト教的宗教団体的に「統一教会」と改称?していたが、元々アソシエーション「協会」が正確)

2025年3月25日火曜日

考古学と文献史学

    2013年に亡くなった森浩一氏の著書がこの1月に新書化されたので早速購入した。
 森浩一氏といえば、1945年(昭和20)に当時17歳の森浩一氏が信太山丘陵の工事で破壊寸前の和泉黄金塚古墳(古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳)を発掘(発見)したことで有名だが、私の高校時代、社会の教師が授業内容とは別に、この高校の先輩にあたる教え子がこの発見・発掘に参加していて、卑弥呼の鏡かといわれる景初三年(239年)銘の画文帯四神四獣鏡を見つけたときの感動の様子を熱弁されていた姿を思い出す。

 鏡と言えば今般の著書でも、第2部三種の神器、第4章八咫鏡、第5章八咫鏡(続)がある。

 さてこの本は、現代の多くの考古学者が神武東征などの神話について「考古学的な裏付けがない」「故に荒唐無稽な物語だ」と言うかそれに触れないという態度をとっている中で、否、見過ごすことのできない痕跡(遺跡・遺物)がこんな所あんな所にあると、示唆を与えてくれている。

 近年、4世紀の、全国一の大墳丘を持つ富雄丸山古墳造り出しから想像を絶する巨大な蛇行剣と盾形銅鏡が出土したが、神武(イワレ彦)東征神話では、河内の生駒山麓日下(くさか)でイワレ彦はトミノナガスネ彦と戦って敗れている。トミノナガスネ彦軍は後に自壊するが、その日下から奈良駅に東進する近鉄奈良線に富雄駅が存在する。古墳はその南方にある。
 森浩一先生は、トミノナガスネ彦の記紀の記述を一笑に付すべきでないとおっしゃるだろうか。現在の私の見解とは異なるが、そんな声も聞こえてきそうな気もする。

2025年3月24日月曜日

愛はないけどアイアール(IR)

    寒いときは風邪をひいたらあかんし、暖かな日は花粉症が悪化したらあかんので、どっちにしても酷い出不精癖がついているので少し歩くと膝が痛んだり息が上がって心臓が弱音を吐く。
 これではいかんとネットを開けたら『やめてんか・カジノ万博御堂筋パレード』があったので23日の昼に「うつぼ公園」に出かけたが、健康のためという動機は少々不純だったかもしれない。
 万博「そのもの」を取り出せば取り立てて反対ではないが、それなら千里で「アゲインばんぱく」とすればよいものを、万博をイチジクの葉にしてカジノ(とばく場)を造ろうとしているから賛成できない。それをIR(統合型リゾート施設)と言い換えても駄目なものは駄目。
 それに地震・台風や津波には危険極まりないアクセス環境の埋め立て地で、危険なガスも噴出を続けている。
    そういう無理に無理を、無茶に無茶を重ねているために、『いのち輝く未来社会のデザイン』だとか『豊かな日本文化の発信』だとか美辞麗句を重ねながら、なんと、し尿汲み取り運搬業務の入札公告がされているというブラックユーモア?まで発生している。
 言っておくが、汲み取り方式の街や汲み取り業務のことを蔑視したりしているのではない。だがしかし、大阪市内で、国際博覧会の会場で、かっこよいキャッチコピーを並べて、その果てが汲み取りですかと情けなくないか。
 万博会場では、一般入場者は帰った後かも知れないが、外国パビリオンの関係者などは沢山いたりする夜間になると、バキュームカーやし尿運搬船のラッシュアワーになる?
 豊かな日本文化の発信どころか、それは普通に言えば「恥さらし万博」になるのではないの?

2025年3月23日日曜日

栞(しおり・ブックマーク)

    会報100号の記念品として『栞』を手作りして会員に郵送(同封)したが、一会員でもある私の妻は「素晴らしい出来だ!」と言って妻の姉にプレゼントだと横流し?した。
 (表裏印刷だから3種類)

 企画段階では記念品らしくQUOカードが喜ばれるのではないだろうかとも考えたが、結果的には超格安の手作りでそれ以上の評価を得た気がする。
 「人生意気に感ず」という言葉があるが「意気」が通じたかも。人間、金銭だけが基準で生きているわけではない。

 今回の制作に関しても比較的若いUさんTさんが大いにがんばってくれた。
 誰かの名言?に、『何かを頼まれたときに「どう実現していくか」と考える人と「どう断わるか」と考える人がいる』というのがあったが、私は前者でありたいと胸に手を当てて反省している。彼らは「どう実現するか」と悩んでくれた人たちだ。

 次は5月のレセプションの企画になる。企画について議論をしたいところだが「ご歓談ください」と放っておかれたパーティーで「好かった」と記憶に残ったものは私にはない。

2025年3月22日土曜日

若ごぼうご飯

    20日の『蕗みそ』の記事のコメントの折に「若ごぼうの炊き込みご飯について秘訣があれば誰か教えて」と書いたところ、ひげ親父さんから「湯掻いておいた茎は炊き上がってから加える」というレシピを教えていただいた。私は根も茎も最初から炊き上げるつもりでいたから参考になった。(ネットには一緒に炊くレシピも少なくなかったので)

 私なりに検討した結果、香りのために根プラス「茎の根本あたり」を最初から入れ、それに、薄揚げ、ニンジン、カシワ少々を入れて炊き上げ、炊き上がった時点で大部分の湯掻いておいた茎を少し大きめに切っておいたのを加えた。
 その結果、手前味噌ながら、懐石料理に出ていてもおかしくないほど美味しく仕上がったが、出汁は妻が塩梅したので私の手柄ではない。
 葉っぱは油でいためて別途佃煮にした。
 気をつけたのは「できるだけ野趣を残す」ということで、それもほゞ成功した。季節を感じさせる一品になった。
 妻がファミリーの女子会であったので、息子ファミリー、娘ファミリーにもお裾分けをした。
 夜に息子ファミリー(お嫁さん)から美味しかったとのLINEがあった。孫の夏ちゃんも喜んでくれたそうだ。
 娘ファミリーからは孫の凜ちゃんがパクパク食べている動画が送られてきた。その中には凜ちゃんの自然に「美味い」ともらした声まで入っていた。
 八尾出身のひげ親父さん、レシピの秘訣ありがとう。

2025年3月21日金曜日

クリスマスローズ

    私だけかもしれないが、お正月の葉ボタンではないけれど、クリスマスローズはクリスマスの頃に咲く花だと思っていた。 実際、昔のことになるがクリスマスの頃に咲いているのを買ってきた。
 その後植木鉢から地植えに移したが、クリスマスどころか春の終わり、初夏近くに咲くので「何がクリスマスやねん」と思っていた。
 それが今年はだいぶ以前から今咲いている。 クリスマスとはいかないが、17~19日の寒波?もあったから、大ぐくりでいえばようやく冬に咲いたことになる。
    本を読むと、
少し北の地方では実際に12月に咲いたりするらしい。
 また、キリストの誕生(つまりクリスマス)の際、貧しい羊飼いの少女が、プレゼントを用意できないのでこの花を花束にしてマリアと幼子に持って行ったという神話もある。
 下の写真は花の下へスマホを差し込んで自撮りモードで撮影した。
 私にはもう「クリスマスローズ=冬だ」という気分はない。「冬も終わってようやく暖かくなったなあ」と感じさせる花になっている。

2025年3月20日木曜日

蕗みそ

     冬眠から覚めたクマは蕗の薹(フキノトウ)をどっさり食べてデトックス(解毒)するというが、今シーズンの如月はけっこう厳しいものだったから、私の体もデトックスを欲している。
 先日は孫の凜ちゃんといっしょに若ごぼうを食べたことを書いたが、第二弾はフキノトウの「蕗みそ」でデトックスだ。
    フキノトウは刻んだ瞬間から変色していくから、料理でもありながらまるで格闘技のような高揚感もある。
    熱しておいたフライパンに即投入し、熱が通れば合わせておいた味噌と混ぜるだけ、これを冷蔵庫に入れておくと蕗みそになる。なんということもない。
    最後の寒波?も17、18日で終わったようだから、口いっぱいに春を確認することにしよう。味わい方はいろいろだ。
 泉谷しげるは〽季節のない街に生まれ~と歌ったが、季節もまた探している人間にしか挨拶をしてくれない。
    熱いご飯に乗せるだけでも食事になるが、写真はこんにゃくの焼き味噌おでんにした。七十二候の世界に入り込んだみたいだった。

2025年3月19日水曜日

公教育の充実について思うこと

    一昨日に「小学生・中学生俳句会」 のことを書いたが、お世話いただいた学校の先生方には感謝している。同時に、無制限の超過労働など教員を巡る問題のある労働条件に見て見ぬふりをしてそういう「お世話」を感謝、賛美してよいものだろうかとも思う。(写真は直接関係ない)
 私は小学生の時代、担任の先生を通じて、戦後発足して間もない児童詩集(文芸誌)に掲載してもらったりして、私だけでなく、みんな貴重な思い出を作ってもらったので、そんな経験と孫の「俳句誌」が重なって感謝の気持ちが湧いている。
 ちょうど国会で教育無償化の議論がある。教育無償化には賛成だ。
 ただ手柄話のように語られている大阪府の維新による教育政策の事実を見ると、ほんとうの意味での教育の充実、例えば教員の増員、少人数学級、養護(特別支援)学校の設置、増設、施設充実などは顧みられず、反対に学校の統廃合を強行し、公教育を私学に外注し、学校跡地を売却するようなことが目立っている。
 テストの成績で教員の指導力?を評価する人事政策も強化され、結局、大阪府の学力は低迷している。学力は塾と私学任せだ。クラブ活動も地域任せで、美辞麗句はあるが、公教育の責任逃れにも見える。
 どこか精神が歪んでいるように見えるのはおかしいことだろうか。
 別途項を改めて書いてみたいが、「公から民へ」「公務員は少ない方がよい」「小さな政府(役所)」というのが、災害に弱い、インフラに弱い、弱者に冷たい社会を作っているのではないか。
 教員や公務員全般を含む労働の場では成果主義という名の「減点主義」が各方面での活力を削ぎ、大きな話をすると日本の経済力、産業力を大きく低下させたのではないか。
 話が広がりすぎるので、今日はここまで。

2025年3月18日火曜日

詐欺メール

    詐欺事件のニュースは止まるところを知らない。
 
 「よくもそんな大金を振り込んだものだ」と被害者への同情の感情が薄まる事件もあるが、例のミャンマーの「会社」みたいなプロ?にかかると「普通の人」?なら騙されて不思議はないとも思われる。
 写真の「国税の督促状・差押え通知」は一月ほど前に私宛に送られてきた(メール)ものだが、証拠のために消去せずにとっておいた。クレジットカード情報を盗もうとしているものだろう。
 手口は幼稚なものだが、e-Tax だとか 国税電子申告納税システム だとか 国税庁 などの文字をちりばめて「差押処分に着手する」と脅している。
 「還付金」ではなく「滞納」だというから、詐欺にしても私は見くびられたものである。

 対策はある意味単純で、国民全体の「常識力」だと思う。そういう社会の「常識力」を破壊しているのが政権与党だろう。
 今般、石破首相(自民党総裁)が1年生議員に各10万円の商品券を配ったのが明るみに出たが、鳥取の舞立参院議員が庇おうとして「歴代の首相が慣例として普通にやっていたことなのに」と公言した。こういうのを「語るに落ちる」という。
 石破首相はポケットマネーというが、とりあえずネットを検索したら2012年のアベチルドレン初当選者は119名であった。となると当時の安倍首相(自民党総裁)は1,190万円配ったことになる。これに国民の税金=官房機密費が使われていないと信じるのは常識に反する。
 日本に詐欺事件のあとが立たないのは、政治の中枢部がこんな詐欺まがいの行動と発言を繰り返し、マスコミがそれを国民の「常識」という物差しで追及してこなかったからではないだろうか。

2025年3月17日月曜日

本日は歌日和

 君はいま彼の北斗星共に祝いたかった記念号

 会報100号にKさんが寄稿してくれた短歌である。
 やや破調であるのが作者の狙いかどうかは知らないが私の心に響いた。
 そういう私も、スマホの電話帳には彼を消せないでいる。
 さて5月には、年に一度のレセプションがあり、毎年みんなにどのように喜んでもらえるかと七転八倒とまではいわないが悩みぬく。
 そんなとき、毎回のように「今度はこんなことを考えたから一緒にやってくれ」と電話をすると、「難しそうやけどお前が言うならわかった」と二つ返事で受けてくれた漢(おとこ)を思い出す。
 谷町の酒屋談義は彼がいた頃と変わらぬ話題に終始


    日曜日の朝日新聞『歌壇』には、47年間務めてきた選者馬場あき子さん(97歳)の退任を惜しむ声があった。この後当分その種の声が続くことだろう。
 俳句の金子兜太、短歌の馬場あき子が、詩心を以て戦争や政治腐敗を告発したことごとをアーカイブに飾ってしまってはならないだろう。
 今般の佐佐木幸綱選 戦禍にも書店増えゆくウクライナ心の支え求めるように (中津市)瀬口美子 は人間を信じさせる。

 最後に、馬場あき子さんの夫であった故岩田正さんの歌を二首。
 目覚むれば寝息くるしき妻のありわれにも秘する悩みあるらし
 わが怒り激しきに呆れゐし君もいまは政治を一緒に怒る

2025年3月16日日曜日

圏谷(けんこく・カール)

    澄んだ空圏谷(カール)飛び交ういわひばり 

    第28回全国小学生・中学生俳句会というものがあり、36,211名の投句者がいた中で、多数の入選者の中の一人だが孫の夏ちゃんの句が選ばれ、それが載っている作品集をもらった。
 しばしば某しんぶんに投句をしているがボツが続いている祖父ちゃんはただただ感心している。
 それにカール(千畳敷カール)のことを圏谷(けんこく)と書いたり読んだりすることをよく知っているものだと、それを初めて知った祖父ちゃんは驚いたが、生徒一人に一台タブレットを持つ教育環境のプラス面だろう。年寄りの経験知など風前の灯火だろうか。

 私ごとだが、私が小学生の時代は「生活綴り方運動」に繋がる自由詩などが盛んなころで、戦前の教育の反省というのだろうか、定型詩や文語、さらには漢字などがどちらかというと否定?されていた。その延長で俳句や短歌などもマイナスイメージが強かった。
 そんなもので、この歳になっても私は改まった文章や定型詩は大の苦手でいる。
 そんな私が、ちょっと投句などしてみようかと思ったのはテレビのプレバトの影響だから、私も単純なミーハーである。
 単純なミーハーでもよい。人間生きている限りは勉強であり挑戦だから、これからも短歌、俳句、川柳に挑み続けたい。
 
 孫の作品は夏休みの中央アルプス駒ケ岳登山を詠んだもの。
 雄大な景色、珍しいイワヒバリ、苦労を乗り越えて登頂した喜びがある。
 さて、詩を書く秘訣はただ一つではなかろうか。それは常にワクワクした気持ちで物事を見ることだと思う。
 夏ちゃん、その気持ちを忘れないで! 祖父ちゃんもそんな気持ちで頑張ろう。

2025年3月15日土曜日

錆びる庖丁はよく切れる

    堺では「錆びる庖丁はよく切れる」と言うそうだが、堺人であるはずの私はそういう言葉は知らなかった。
 ただ言葉は知らなかったが経験的にはそれは常識だった。
 わが家ではホンモノの堺の庖丁、ステンレスの庖丁、セラミックの庖丁を使ってきたが、経験的に堺の庖丁はよく切れたが、手入れをサボると錆びた。その手入れのサボの結果、今般、堺の庖丁の命が尽きた。
 40年ほど使ってきたが、ついに刃の柄に差し込む部分(中子)が完璧に錆び落ちてなくなってしまった。(写真は表面が鏡になっていろんなものが写りこんでいるので錆びて汚れているのではない。中子以外は錆びさせてはいない)
 これまでも木製の柄を3回ほど替えて補修してきたが、今回は「もういいだろう」という気になった。
 鉄を足す方法もあるが、それほど調理師プロ仕様の高級品でもないから捨てることにして、もう少しグレードの落ちる堺の庖丁を購入した。
 歳も歳だし本格手に魚を捌くこともないだろう。・・と、自分の下り坂を感じている。

2025年3月14日金曜日

神農さんの予習

    4月に「大阪の街歩き」に参加する予定だが、その訪問先の一つが船場の少彦名神社(神農さん)で、道修町の薬の神さんで通っている。
 少彦名命(すくなひこなのみこと)は日本書紀によれば、海の向こうからやって来て大国主神(おほくにぬしのかみ)とともに国造りを行ない、その後「常世郷(とこよのくに)」に行ってしまった神で、「病を療(おさ)むる方(ほう)を定めた」となっている。

 その一方神農(じんのう・しんのう)は本来は中国古代の伝説上の帝王であって、その名が示すとおり原初的には農業神であったが、前漢時代から医薬の創始者となった。 
 というように2神は本来別々の神であったが、海の向こうからやって来て最新の医薬を教えたということで一致していることから、いつしか合体した(させた)のだろう。
 また「常世」というのは記紀では「神仙の秘区」つまり神仙世界とされているし、我が国に最初に伝わった薬の書は6世紀の道教の道士陶弘景が復元した「神農本草経」であるから、少彦名神社(神農さん)を約(つづ)めていえば道教の神さんということになる。

 なお、この道修町と神社の縁起は割合はっきりしていて、享保7年(1722)紀州に出かけた徳川吉宗が大坂で臥したさい、道修町の薬屋から献じた薬で回復したことから、この地の124軒に薬種屋の免許を与え、さらに和薬改会所を設け、薬種の真偽等吟味する特権を与えたことに始まる。
 さらに、有名な張り子の虎は、文政5年(1822)に大坂でコレラが流行した際に薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後施与したことに由来するといわれており、現在でも少彦名神社の御札をつけた張子の虎は家内安全無病息災の御守として知られている。あなかしこ あなかしこ。

2025年3月13日木曜日

お水取り余聞

    東大寺二月堂修二会もいよいよ佳境で、13日の1時半ごろに若狭井という井戸から観音様にお供えするお香水(おこうずい)を汲む行があるので、俗にこの行をお水取りと呼ばれている。
 11日の昼間に二月堂に参拝してきたことは昨日書いたが、そこで見た「余聞」を少しメモっておく。

    第1の写真は調理のような様子だが、食堂の横の建物なので何かわからない。ただ、お松明以外にも多くの仕事によってこの行が支えられているのだということが感じられた。
 第2の写真は籠りの僧のための食堂の前。調理で残った「残飯」はこのように鹿に施されている。

    第3の写真は若狭井。お水取り本番まではこのように新鮮な木々で囲われているが、鹿にとってはこれも御馳走。
 奈良の鹿は春日の神のお使いなのだが、見たところは大仏様のお供という方が当たっているかもしれない。 

2025年3月12日水曜日

杉の梢の天狗星

    お水取り=東大寺二月堂修二会(しゅにえ)もいよいよ後半になってきた。
 そも修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言い、十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味する。
 奇しくも昨日は3月11日。大仏殿では犠牲者大法要も行われたが、私は勝手に為政者に代わって原発事故の懺悔を行ってきた。 
 写真では判り辛いが布カバンには「3.11から14年 NONUKES」という小さくない名札を付けて参拝した。

 そのあと出席した古代史講座では、「富雄丸山古墳の被葬者について、麛坂皇子とはいかなかったが忍熊皇子まで考え抜いたのはよろしい」と、小笠原先生から先生の立派な著書をご褒美にいただいた。
 ああ、これからは講義中に居眠りなどできなくなった。

 それにしても、写真でいえば私の後ろの格子から夜には修二会の一種独特のドラマチックな行が垣間見れるのだが、その格子の前に座ってゆったりとお参りができたし、勉強会では望外の嬉しいこともあった。ありがたい一日だった。

 二月堂下の有名な黒板には「水取や 杉の梢の 天狗星  正岡子規」が記されていた。
 二月堂の舞台の真正面には良弁杉が立っている。そこへ降り注ぐお松明の火が天狗星(大きな流れ星)なのだろうと勝手に解釈した。

 帰宅すると会報の最終校正をせよとのメールが入っていた。ちょっと忙しいが怠け心の老人には丁度良い。

2025年3月11日火曜日

啓蟄

    この季節を啓蟄とはよく言ったものだ。
 
 3月10日の昼間は気温がグングン上がるとともに、綿のない綿虫(雪のない雪虫)みたいなユスリカみたいなのが「春だ~ 」と言わんばかりに湧いてきた。
 スマホで撮影したが上手く撮れない。名前は知らない。
 気分がいいので庭仕事をしたが、花粉症のしっぺ返しを食らうのだろうなあ。(実際、夕刻から目と鼻に発症した)

 バードテーブルにヒマワリ(の種)を入れると、ヤマガラ、シジュウカラ、スズメがまるで鳥小屋の中に私が入ったように庭中を群舞してくれた。
 スズメは以前はヒマワリは食べずにもっと小さなヒエ、アワなどを食べていたが、近頃は先客のヤマガラ、シジュウカラを追っ払ってヒマワリを食べに来る。
 学習したのである。
 昔仕事で東京に行ったときは日比谷公園の松本楼で昼食をとることが多かったが、あそこのスズメも「ここの人間は襲いはしない」と学習したんだろう、屋外席のテーブルで食べていると「ご飯をくれ」と、こちらが食べているテーブルにまで飛んできた。

 写真は葉も可愛いオキザリスの一種。いろんな花も春に遅れまいと忙しそうだ。