そも修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言い、十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味する。
奇しくも昨日は3月11日。大仏殿では犠牲者大法要も行われたが、私は勝手に為政者に代わって原発事故の懺悔を行ってきた。
写真では判り辛いが布カバンには「3.11から14年 NONUKES」という小さくない名札を付けて参拝した。
そのあと出席した古代史講座では、「富雄丸山古墳の被葬者について、麛坂皇子とはいかなかったが忍熊皇子まで考え抜いたのはよろしい」と、小笠原先生から先生の立派な著書をご褒美にいただいた。
ああ、これからは講義中に居眠りなどできなくなった。
それにしても、写真でいえば私の後ろの格子から夜には修二会の一種独特のドラマチックな行が垣間見れるのだが、その格子の前に座ってゆったりとお参りができたし、勉強会では望外の嬉しいこともあった。ありがたい一日だった。
二月堂下の有名な黒板には「水取や 杉の梢の 天狗星 正岡子規」が記されていた。
二月堂の舞台の真正面には良弁杉が立っている。そこへ降り注ぐお松明の火が天狗星(大きな流れ星)なのだろうと勝手に解釈した。
帰宅すると会報の最終校正をせよとのメールが入っていた。ちょっと忙しいが怠け心の老人には丁度良い。
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