森浩一氏といえば、1945年(昭和20)に当時17歳の森浩一氏が信太山丘陵の工事で破壊寸前の和泉黄金塚古墳(古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳)を発掘(発見)したことで有名だが、私の高校時代、社会の教師が授業内容とは別に、この高校の先輩にあたる教え子がこの発見・発掘に参加していて、卑弥呼の鏡かといわれる景初三年(239年)銘の画文帯四神四獣鏡を見つけたときの感動の様子を熱弁されていた姿を思い出す。
鏡と言えば今般の著書でも、第2部三種の神器、第4章八咫鏡、第5章八咫鏡(続)がある。
さてこの本は、現代の多くの考古学者が神武東征などの神話について「考古学的な裏付けがない」「故に荒唐無稽な物語だ」と言うかそれに触れないという態度をとっている中で、否、見過ごすことのできない痕跡(遺跡・遺物)がこんな所あんな所にあると、示唆を与えてくれている。
近年、4世紀の、全国一の大墳丘を持つ富雄丸山古墳造り出しから想像を絶する巨大な蛇行剣と盾形銅鏡が出土したが、神武(イワレ彦)東征神話では、河内の生駒山麓日下(くさか)でイワレ彦はトミノナガスネ彦と戦って敗れている。トミノナガスネ彦軍は後に自壊するが、その日下から奈良駅に東進する近鉄奈良線に富雄駅が存在する。古墳はその南方にある。
森浩一先生は、トミノナガスネ彦の記紀の記述を一笑に付すべきでないとおっしゃるだろうか。現在の私の見解とは異なるが、そんな声も聞こえてきそうな気もする。
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