一昨日に「小学生・中学生俳句会」 のことを書いたが、お世話いただいた学校の先生方には感謝している。同時に、無制限の超過労働など教員を巡る問題のある労働条件に見て見ぬふりをしてそういう「お世話」を感謝、賛美してよいものだろうかとも思う。(写真は直接関係ない)
私は小学生の時代、担任の先生を通じて、戦後発足して間もない児童詩集(文芸誌)に掲載してもらったりして、私だけでなく、みんな貴重な思い出を作ってもらったので、そんな経験と孫の「俳句誌」が重なって感謝の気持ちが湧いている。
ちょうど国会で教育無償化の議論がある。教育無償化には賛成だ。
ただ手柄話のように語られている大阪府の維新による教育政策の事実を見ると、ほんとうの意味での教育の充実、例えば教員の増員、少人数学級、養護(特別支援)学校の設置、増設、施設充実などは顧みられず、反対に学校の統廃合を強行し、公教育を私学に外注し、学校跡地を売却するようなことが目立っている。
テストの成績で教員の指導力?を評価する人事政策も強化され、結局、大阪府の学力は低迷している。学力は塾と私学任せだ。クラブ活動も地域任せで、美辞麗句はあるが、公教育の責任逃れにも見える。
どこか精神が歪んでいるように見えるのはおかしいことだろうか。
別途項を改めて書いてみたいが、「公から民へ」「公務員は少ない方がよい」「小さな政府(役所)」というのが、災害に弱い、インフラに弱い、弱者に冷たい社会を作っているのではないか。
教員や公務員全般を含む労働の場では成果主義という名の「減点主義」が各方面での活力を削ぎ、大きな話をすると日本の経済力、産業力を大きく低下させたのではないか。
話が広がりすぎるので、今日はここまで。
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