少彦名命(すくなひこなのみこと)は日本書紀によれば、海の向こうからやって来て大国主神(おほくにぬしのかみ)とともに国造りを行ない、その後「常世郷(とこよのくに)」に行ってしまった神で、「病を療(おさ)むる方(ほう)を定めた」となっている。
その一方神農(じんのう・しんのう)は本来は中国古代の伝説上の帝王であって、その名が示すとおり原初的には農業神であったが、前漢時代から医薬の創始者となった。
というように2神は本来別々の神であったが、海の向こうからやって来て最新の医薬を教えたということで一致していることから、いつしか合体した(させた)のだろう。
また「常世」というのは記紀では「神仙の秘区」つまり神仙世界とされているし、我が国に最初に伝わった薬の書は6世紀の道教の道士陶弘景が復元した「神農本草経」であるから、少彦名神社(神農さん)を約(つづ)めていえば道教の神さんということになる。
なお、この道修町と神社の縁起は割合はっきりしていて、享保7年(1722)紀州に出かけた徳川吉宗が大坂で臥したさい、道修町の薬屋から献じた薬で回復したことから、この地の124軒に薬種屋の免許を与え、さらに和薬改会所を設け、薬種の真偽等吟味する特権を与えたことに始まる。
さらに、有名な張り子の虎は、文政5年(1822)に大坂でコレラが流行した際に薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を作り、「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後施与したことに由来するといわれており、現在でも少彦名神社の御札をつけた張子の虎は家内安全無病息災の御守として知られている。あなかしこ あなかしこ。
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