2026年7月5日日曜日

鶺鴒に教えられる

    先日『古事記学会』の講演会で古事記研究の面白さを少しだけ知ったので、奈良大学博物館の『古事記を描く』という企画展を見に行ってきた。
 展示は、古事記の写本などから始まり主に幕末~明治の日本画が「いかにも!」という感じで描かれていた。

 古事記神話の構成上早々に展示されていたのが尾形月耕・明治24年の『イザナギ・イザナミ二神、天の浮橋に立つ図』の絵で、「二神が性交しようとしたが方法が解らなかった。そのときセキレイが飛んできて尾を振ったので二神はそれを真似て方法が解った」というものだが、何とも情けない二神の絵には力が抜けた。

 とまれ! 『古事記の企画展』であるのに以上の内容は古事記ではなく日本書紀ではないか。
 古事記では、「イザナギがイザナミに『あなたの体は、どんなふうにできているか』と尋ねたところ、『わたくしの体はでききらない所が一か所あります』と答えた。そこでイザナギが『わたしの体のでき過ぎた所をあなたのでききらない所にさして國を生み出そうと思うがどうだろう』とのべ、イザナミが『「それがいいでしよう』と答え」ている。
 高校の文化祭で、「わが身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり」
「我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり」
「吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺しふたぎて、くに生み成さむと思ほすはいかに」という劇をやったのも懐かしい。

 6月23日の記事で、三浦祐之先生が「古事記と日本書紀は別物なのに記紀神話などと言うな」「日本書紀は古事記から都合よくつまみ食いしている」と講演されたことを書いたが、そういう意味ではこの展示は及第点に届いていない。

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