2023年1月31日火曜日

ビニロンのヤッケを着ていた

   今日は年寄のただの昔語りである。
 講談社の『新日本大歳時記』(冬)をパラパラとめくっていたら、アノラックとかヤッケという懐かしい名前が出てきたので、イクジイの夜、娘に「アノラックとかヤッケは知ってるか?」と聞くと、予想どおり「知らん」と返ってきた。

 アノラックは今でもモンベルにもあるが、主流はパーカー、もしくはダウンジャケットになっている。
 そんな話をしていると、「ホームセンターの作業着売り場にヤッケと書いてあって『なんやろな』と言っていたところだ」と言う。

 アノラックもヤッケも基本は同じだが、モンベルなどよりもワークマンの世界に移ったようだ。それでも私が持っていたビニロン性のゴワゴワのものとは格段に進歩している。(写真はネットにあったもの。こういう物だった)

 妻が横から「ヤッケは歌もあったのに」と口をはさんだが、高石ともやの『想い出の赤いヤッケ』という歌があった。出だしぐらいは歌える。

 1960年代などの労働争議ではヤッケがユニホームみたいな感じだった。ストライキのピケットの応援に行くと、会社側が雇った暴力団などがスト破りに来たが彼らもヤッケだった。だから黄色対青のようにそれぞれの現場では色で分かれていた。自分のヤッケがスト破りの色だと着ておれなかった。

 1970年代でもヤッケはデモ行進時のユニホームのような頃があった。懐かしい思い出だが、今はそんな衣装は「配慮が足らん」ということになるかもしれない。

 年寄のただの昔語りである。歳時記にはアノラックもヤッケも冬の季語として載っている。
 この話は私が山登りやスキーから遠ざかって久しいだけの話かもしれぬ。
 でも、回想法・・昔のことを思い出して書いたりするのも認知症予防には非常によいことらしい。
 そんなこと、つまらん、と言っていると、人生全てがつまらなくなりそうだから書いておく。

2023年1月30日月曜日

光の春

   29日の(朝日新聞の)朝日歌壇、永田和宏選にこんなのがあった。

 如何に生き如何に死ぬかの死に方で盛り上がるのが団塊世代 (筑紫野市)二宮正博

 妻は「団塊の世代がそんな歳になったということ。それに、こんなことを言うのも(つまり作者も)団塊の世代らしい」と言ったが、私は「二宮さんは少し下の世代で、日頃疎ましい先輩たちの様子を見て嗤っているのだろう」と言ったが、さあどうだろう。

 永田和宏評は、「そうそんな話が切実な話題になる世代だ」とあった。

 切実といえば、歌にまで詠まれなくても自然にそこへ近づいているのは厳然たる事実だ。
 例えば、丁度いい高齢者施設への入居も課題になってきていて「何人待ち」ということが現実の問題になりつつある。おひとり様(上野千鶴子さんの言葉)ならなおさらだ。

 ところで、「何人待ち」の順番が回ってくるということはその部屋やそのベッドを利用されていた方が亡くなられたということで、自分も又そのように「明け渡す」のがリアリズムだと、ウルトラ鈍感でない限り実感している。
 やはり、四苦八苦の四苦(生病老死)の自覚が仏教の神髄なのだろう。

   ところが、そうは言っても悟りに程遠い凡夫には達観はなかなかできず、天気の悪い日、とりわけ夕方には心が重くなる。
 それを季節でいえば、やはり冬至近辺がそうだから、先人はその季節に多くの行事を考えたのではないだろうか。
 そういう抑鬱感を大幅に増幅しているのがコロナによる「三密回避」。要するに人と人の交流が遮断されていることにある。
 過剰反応、自粛馬鹿、ありえないリスクゼロ、そして思考停止。

 先週から大寒波に抑え込まれているが、日の出日の入り、そして陽の角度は確実に生気を取り戻しつつある。「光の春」と言われる。とまれ世は光の春である。団塊の世代よ、さらなる生き方をこそ語れ。メッセージを語れ。メッセージの伝え方を語れ。

2023年1月29日日曜日

JR雪に負ける

   鉄ちゃんの友人が何人かいるが、私は通勤していた頃、鉄ちゃんが羨ましがるような光景を何回か見ている。雪の日の大和西大寺駅である。
 ここは近鉄奈良線と京都線が複雑にホームを利用するので、ポイントも複雑で芸術的であるため、雪の日はレールの凍結防止のため、そのすべてのポイントに小さな灯油ランプが設置され、イルミネーションにも負けないような風景が出現した(そのイメージに近そうな写真がネットにあった)。どうだ。 

 さて24日から25日、JR京都線などで15本の列車が約7000人の乗客を乗せたまま立往生し、10時間近く車内に閉じ込められた乗客もいた。
 JRの説明は例により「予想以上の積雪があって・・」だが、京阪神の私鉄は基本的に運行した。
 それに、駅からさほど遠くない列車でも降車して歩行させるようなことがほとんどなく、体調不良で救助された人もいた。

 「やっぱり」というのが感想だ。人員削減の結果であることは間違いない。予想以上の雪に対応できる「遊撃隊」がなくなっている。そういうことを判断する安全部門自体が弱体化している。リストラ・・人を減らせば減らすほどよいという神話はもう止めにしなければならない。日本列島全体が脆弱になっている。

 先日コロナでも書いたが、各ポジションに、決断できる人はいなかったのかということもある。近くの駅までそろりそろりと運行させて降車させられなかったのか。
 ここには、決断して「何かあったら」叱られるという、事なかれ主義、無責任があるように思う。これはJRだけに限らない。

 鉄ちゃんはこんな時こそ発信してほしい。

2023年1月28日土曜日

地味な山焼き

   若草山の山焼きだったが、午後遅くまで雪が降っていたから非常に地味な山焼きだった。
 写真はわが家から遠くないショッピングモールの屋上から望遠で撮ったもの。

 山焼きの由来は東大寺と興福寺の領地争いという俗説が流布されているが、全く真実ではないと両寺の僧侶は言っている。

 奈良県のHPなどでは次の通り述べられている。
 🔳 若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)という前方後円の巨大なお墓があります。
 その昔、このお墓から幽霊が出て人々を恐がらせるけれど山を焼くと幽霊が出なくなるらしい、また翌年1月頃までに山を焼かないと良くなければ、なにか望ましくないことが起こるらしい、などの迷信が長く続き、この山を通る人が勝手に火をつけるようになったといわれています。
 これにより東大寺境内に火が迫る事件が再三起こり、173812月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の立て札を立てました。しかし、その後も誰ともわからないまま放火は続き、近隣の寺や神社へ火が燃え広がるなど危険が絶えなかったため、江戸時代末期頃には若草山に隣接する東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。
 このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養のためでもあったといえます。🔳

 今年もコロナ下で限定的な開催だった。コロナが収束したら一見の価値はある。東大寺、興福寺、春日大社、それに大峰山の山伏が揃って行われる伝統行事は中世にタイムスリップする。

2類が悪の根源なの

   岸田内閣は27日、新型コロナ肺炎を2類から5類に変更しようとしている(ブログ公開時点では決定されているかもしれない)。
 私は、街の声の多数はどちらかというと賛成しているように感じている。
 しかしほんとうにそれでいいのだろうか。

 政権が統計の全数把握を止めたから、国民には真実が見えにくくなっている。出されるデータは「山を越した」的なもののみが取捨選択されて出されているようにも思われる。
 そもそもこの新型コロナについては、当初から徹底してデータが「秘密処理」されてきたが、なおその上に・・・。

 世界では、日本のようにマスクをしている国、ほとんどしていない国、大感染(による自然免疫獲得)が起こった国、それほどでなく推移してきた国、ワクチン接種が進んだ国、そうでない国、それぞれ有意差が出てもよいのにそういう発表も全くない。

 岩田健太郎医師が『リスクを生きる』という本の中で語っているように、「局面は、ほんとうに判らない」というのが一番正直な意見だと私は思う。

 そこで冒頭の「賛成意見」だが、金儲けを企む業界と代弁者のGoToを除いても、政府の政策の現状には庶民の大きな「コロナ疲れ」がある。事実だ。
 例えば高齢者施設では面会ができない。感染者が発見されたら全員外出禁止どころか、外の医者にもかかれない。さらには「部屋から出るな」とまで・・・。
 これが「2類」ゆえであるならば、「もう嫌だ」という感情が生まれても当然だ。これに類する話は枚挙にいとまがない。

 しかしそれがほんとうに2類ゆえだろうか。2類であってもアナウンスの内容は幾らでも工夫ができる。事実、「濃厚接触者」の各種ルールも当初から比べると相当変更されてきている。
 だから、「賛成意見」の気分は痛いほどわかるが、2類でも改善できる施策は多々あるのではないか。

 5類にすると、早い話が罹ったのは自己責任となる。
 ワクチンも、今後出てくる高額の(少なくとも当初は)治療薬も自己負担だろう。
 発熱外来のない普通の医院に「明日からは5類だから診療しなさい」で上手くいくだろうか。実際には5類にすることで診療体制の崩壊が起こる恐れがある。でも5類なのだから、政府の支援はない。医院の自己責任だ。庶民の不満のはけ口を「悪い医者」に向けさせるようにも感じる。

 最後に、同調圧力かもしれないが、国民一般にしても、自分で判断するのは嫌、自分は責任をとりたくないから判断は「上の人」に決めてもらいたい‥でよいだろうか。
 無責任、事なかれ主義、減点(成果)主義・・・。政府のGoToとは別の角度からは「人間らしい生活環境」つまり交流が必要だが、その判断にあたってはただただ「危険性あり‥止めておこう」という発言が理性的なように取り扱われるのは如何なものか。
 私は、こういうような風潮は「民族の危機」だと感じているが心配しすぎでしょうか。

2023年1月27日金曜日

歴史の薄皮

   歴史の薄皮がまた一枚剥がされたようだ。富雄丸山古墳から盾形銅鏡と蛇行剣が出土した。
 富雄丸山古墳については、2017年11月19日に『直径110mの円墳』21日に『富雄丸山古墳からの想像』28日に『玉造稲荷と富雄丸山古墳』12月2日に『富雄丸山古墳その4』を書いたが、当時の想像どおり、謎が謎を呼ぶ古墳である。

 木棺は未盗掘らしいから、今後どんな大発見が出てくるかもしれない。そうして歴史を覆っていた薄皮が一枚また一枚と剥がされていくことだろうが、その過程では、謎の薄皮が一枚また一枚と増えていくかもしれない。
 私の想像する被葬者候補の一人は押熊王であるが、はたして??

 百舌鳥や古市の巨大前方後円墳出現の前夜の様子が判るというよりも、教科書が書き換えられるかもしれない。
 現地説明会があるが、私は来週に大事な用務があって体調を一切壊すことができないから涙を呑んで行かないことにした。
 動画を2つ貼っておく。



2023年1月26日木曜日

みんなには聞こえないけど

   福田隆浩という作家は数々の児童文学賞を受賞されていたのだが私は全く知らなかった。朝日新聞の「人」欄で知った。特別支援学校の先生でもある。

 今回の本も、近所のショッピングモール内のけっこう大きな書店にはなかったし、アマゾンでも楽天でも「版元取り寄せ」だった。

 児童文学というジャンルらしいが、私はそういう分類はある意味ナンセンスだと思うのだが、要するに「それほど売れない本」というジャンル?なのだろう。

 知的障害のある女の子の心象と、親、兄、先生らのやりとりを綴った物語だが、私にはすずちゃんの気持ちが不十分ながら良く?判った。
 そう、すずちゃんは家族にも先生にもうまく話せないのだが、心の中では健常者と同じように考え、同じようにいろんな感情を湧きあがらせているのだ。

 すずちゃんはきのこが大嫌いな五年生。これまで一度もまともに食べたことがない。ところが今日の給食はきのこのサラダだった。

 (担任から母親への連絡帳)・・・後ろの席に座っていた一年生の男の子がすずさんより先に「きのこはいやだ!たべない!」と大騒ぎを始めてしまったのです。すずさんは、その騒ぎをきょとんとした顔で見ていました。どうやらそのときに、すずさんの胸のおくで、おおきな心境の変化があったようです。

 フォークの先にさしていた小さなきのこを、いきなりぱくっと口に入れ、少し吐きそうになりながらも、ちゃんとかんで、しっかりと飲み込んでくれました・・・
 ・・・・・

 表紙カバーには、『いってきまーす! みんなには聞こえないけど、わたしは大きな声をあげた。』とあった。

2023年1月25日水曜日

転倒注意

   近畿の中部南部に雪の降るのは3月が多く、太平洋側を低気圧が通ったときで、多くはボタン雪というのが経験知だったが、この1月24日夕方からの降雪はそうではない本格的な雪だった。
   JRは各地で運転見合わせが発生したし、わが街にも大雪警報が発令された。

 が、わが街に限っては、25日の朝の風景は綺麗な雪化粧というのがぴったりの長閑な風景で、南部の和歌山周辺からも被害が報じられているのが嘘のような雪の少なさだった。子どもたちは残念だろうが高齢者にとってはありがたいものだった。
   そういう美しい風景を見ながらも、「来月には通勤災害の請求が増えるだろう」などという無粋な思考回路が頭の奥で動くのだった。

 通勤災害とは、通勤遂行性を前提に通勤起因性が認められるものをいうが、通勤起因性とは「通勤に通常伴う危険が具体化したもの」だから、雪道の通勤にはすってんころりと転倒する危険が内在していることは論を待たない。

 豪雪の地域の方々には申し訳ないが、うっすら雪化粧の写真をあげておく。

ゆずください

   孫の夏ちゃんのために花柚子を採っていたら「こんにちは」という就学前と思われる小さな子二人がいたので「これは何か知っている?」と匂いを嗅がすと「柚子」と言ったので驚いた。もちろんその柚子をその子たちにあげた。

 しばらくして屋内で本を読んでいたらインターホンが鳴って、妻が応答すると「柚子ください」と4人の女の子が声をそろえた。

 近頃は「知らない人が話しかけてきたら逃げなさい」ぐらいが標準らしいから、子ども達が「ください」とインターホンを鳴らすのにはほんとうに驚いた。

 わが孫の凜ちゃんはそのような対応ができないから、じいちゃんばあちゃんは、何年ぶりかで小さな子どもと対等に付き合った。
 「なぜこの家にはこどもがいないの」「子どもはいたけど大きくなったのよ」「へ~」というような感じだった。

 こうなるとただあげるだけでは面白くない。小さな脚立を持ち出して、その上に登らせて、私がハサミで切る柚子を手で持って収穫の手伝いをさせた。

 今度この子たちが来たら、キンカンを食べさせてやろう。
 じいちゃんの仕事の予定がまた増えた。
 摘んで食べられる木を植えてみようか。隠居はその先だ。

2023年1月24日火曜日

ひまわりの蜂蜜

   先週「金柑と花柚子」で書いたが友人たちにそれらをお配りした。
 「こんな風に加工したよ」というようなメールもないし、全くの「野生」で出来が良くないから有難迷惑だったかなと反省している。

 わが家では金柑は甘露煮にして瓶詰にした。花柚子はマーマレードの瓶詰にした。
 花柚子のマーマレードは毎朝トーストに乗せている。

 妻が「グレードアップだ」といって蜂蜜を足した。
 購入してきたそれが「ひまわりはちみつ」だというのでよく読むと、原産地はウクライナだった。これはいい。

 世界中で紛争は絶えていない。彼の地では凍死者も出ているようだ。
 アメリカの高官がウクライナについて「2023年中には終わらないだろう」と言ったことが報道されている。
 
 ショックドクトリンというが、平常なら実現不可能なような無理筋の政治が、ある種の非常時に暴走するのは世の常だが、その危険性について木鐸を叩くべきメディアが先頭に立つのも世の常だ。
 「攻められそうだから先に攻める」という敵基地先制攻撃は真珠湾攻撃の歴史書から蘇った。

 どこかのお寺の掲示板に「戦争の支度より平和の支度」と張り出されたという。元は加藤周一氏の言葉だというが的を射ている。

 ひまわり蜂蜜入りのマーマレードや甘露煮を食べながら、そんなことを考えた。

2023年1月23日月曜日

キボウの年

   今年はキボウの年である。
 私はいわゆる戦後民主教育の下で小学生だったから、「これからは因習などに絶対囚われてはいけない」と固く教えられたので、干支(えと)などはハナから覚えようとしなかった。
 ところが長じて古代史などを学び始めると、日本書紀をはじめとする史料が全て「十干(じっかん)十二支」で記述されていて、とっさには頭の中でいろいろな計算ができず大いに弱っている。

 子丑寅・・の十二支はとりあえずクリアしても十干は甲乙丙丁までである。そこで自分自身のために十干を書いておくと、甲(きのえ・こう)乙(きのと・おつ)丙(ひのえ・へい)丁(ひのと・てい)戊(つちのえ・ぼ)己(つちのと・き)庚(かのえ・こう)辛(かのと・しん)壬(みずのえ・じん)葵(みずのと・き)である。

 そして今年は、「癸卯(みずのと・う)なので、壬申の乱とか戊辰戦争のように音読みで行くと、『キボウの年』となる。

 なお十と十二の最小公倍数は六十なので60歳で元の十干十二支に還って還暦というのはよく知られている。

 この十干十二支は日にちにも用いられており、甲子(きのえ・ね)から始まって癸亥(みずのと・い)まで数えるので、60日で甲子に還ってくる。
 私は小学生で父が存命の頃は、この甲子の日には大黒様の掛け軸をかけて赤飯(赤ご飯)を供えていた。どういう信仰だったのかは今ではわからない。ご存知のお方は教えてほしい。
 ちなみに甲子園球場は甲子(きのえ・ね)の年(大正13年)に完成したので甲子園。これは余談。

 ということで、癸卯=希望の年とすべく、統一地方選挙などでは日本共産党の前進に微力を尽くしたい。もちろん、大阪府知事には「たつみコータロー」だ。

2023年1月22日日曜日

寒波が来る

   23日、24日から数日間は、100年に一度の大寒波になるかもしれないと気象予報士がテレビで語っている。

 ところで「三苫の1ミリ」はサッカーボールの1.7%。「あれがノーゴールなら地球半径の0.3%の大気圏はないことになりすべての生物もいないことになる」とはお茶大の気象の先生。素晴らしい。

 半径6400㎞の内の16㎞。そのたった0.3%を予報しているのが気象学。それでも「予想外」「想定外」の災害が多発している。
 0.3%の中で戦争し、核兵器も使おうかという人物の頭の中を見て見たい。

 先日「今日は1.17」で書いたとおり、正常性バイアスに引き込まれるのは危険である。結果ヨシならそのときに感謝すればよい。ユメユメ「対策していて無駄なことをした」などとは思わぬことだ。

 そんなことを考えながら屋外栓を梱包用のプチプチで防寒対策した。
 もう一つの地中の水道栓はロウバイの落葉で守られている。

 寒さに弱いニオイバンマツリなどの草木が心配だが、過保護にせずに体力をつけさせようと思っている。

オニのお面

   節分が近づいてきたが、コロナ前まで毎年友人のお寺で催してきた節分行事がコロナ収束せず今回も中止となった。

 善哉、大根炊き、焼き餅、もちろん豆まきエトセトラ、・・・全てアーカイブに保管されたような寂しさがある。
 コロナが明けても事務局メンバーが病気やなんかで来てくれるだろうか。

 全ての社会運動の場面でそういう悩みがあるようだ。
 対策を打ちつつ集合する・・に努力しないと、動こうと思ったときには動けなくなっていないか。いろんな意味で。
 イギリス、フランス、ドイツなどでは労働者・労働組合が生活を守れ!命を守れ!とデモを行い、ストライキを行っている。・・・どうしましょう。

   そんなもので、口だけ老人は二人の孫を相手に節分を企画しようと思う。

 そんな折、21日の赤旗に『(つくってあそぼ)カンタン オニのお面』というのがあって、これがSNSなら「いいね!」をあげたい気になった。
 ただ、「立体お面」は以前から私も創作していたから、「特許料をくれないものか」と妻に話して「エヘン」と自慢した。
 写真は2021年のもの。2022年は電飾のお面にした。
 立体お面には、A4 500枚×5のコピー用紙の外箱が丁度いい。

2023年1月21日土曜日

エイサーのルーツ

   沖縄のエイサーは、ほんとうの意味での踊りで、京の送り火のように先祖の霊を送り出す踊りだと言われている。

 同趣旨のものとしては、京には、先にあげた大文字などの送り火の外に、六斎念仏(念仏踊り)がある。
 2022年11月30日、そういう念仏踊りを含むカテゴリーで風流踊りがユネスコの無形文化遺産に登録された。
 それらは、立派な文化であるとともに災厄を祓い安寧を願う行事でもある。

 京都京阪三条の駅前に『だん王法林寺』がある。大きな門柱で誰もが目にする。浄土宗のお寺であるが、京都には有名な観光寺院?が多いので私はただ通り過ぎていた。

 さて、世界における16世紀最大の戦争であった秀吉による文禄・慶長の役は慶長3年(1598年)秀吉の死によって終了したが、それは朝鮮はおろか明国までをも征服しようとするものだった。
 そういう時代1603年(慶長8年)に袋中(たいちゅう)上人は明に向けて出港するが、秀吉の侵略戦争の影響で上陸を許されず、結局、琉球に漂着。
 以後3年間布教に努め、尚寧王らを帰依させ、京に戻って檀王法林寺を創建した。
 その間に伝えた念仏踊りがエイサーの源流とされている。

 そういう歴史もあって、檀王法林寺の信ケ原(しがはら)住職は今も沖縄との交流、沖縄の平和について度々熱く語られている。

 1月13日、トークキャラバンで京都を訪れたデニー沖縄県知事は同寺を訪問し、尚寧王から贈られた家具などを鑑賞され、同住職に「美(ちゅ)ら島沖縄大使」の認証書を手渡されたと京都民報が報じている。
 なお、祇園祭黒住山の前かけは、尚寧王から袋中上人に贈られた琉球の官服を直したものであるという。

 こんど京都に行ったときには是非とも参詣したいお寺である。

2023年1月20日金曜日

亀の甲

   だいぶ以前に鈴木史朗アナで人気のあった『ご長寿クイズ』が昨年暮れにさんまの司会で復活した。

 以前のときは私もアハハと笑って観ていたが、要するに呆け老人を嘲笑しているだけではないかと感じてからは観なくなった。だから、さんまのそれも一切観ていない。内容が変わっていたかどうかも知らないが、まあまあ同じようなものだろうと思ってそうした。

 私は、バラエティー番組にいちいち目くじらを立てるほど高潔でもない凡人だが、この笑い声が差別を助長しないかという心配もしている。
 長幼の序などと大上段に振りかぶる気はないが、亀の甲より年の功とも言うではないか。

 某月某日、外出しようとしたが、常に眼鏡を置いてある場所に眼鏡がなかった。昔から漫画で眼鏡を頭の上あたりに撥ね上げたおじさんが眼鏡を探しているというのがあったが、頭の上にもない。妻に「どこか知らんか」と尋ねたら、眼鏡は普通に掛けたままだった。

 今冬は暦どおり寒い日があった。
 近頃は省エネと実利で屋内でも帽子(ワッチキャップ?)を被っている場合がある。
 某月某日、外出しようとしたが、常にそのキャップを置いてある場所にキャップがなかった。洗濯しているわけでもないし、外出先で忘れてきたかとかいろいろ考えたが原因が不明で、結局妻に「モンベルの青い帽子どこかになかったか」と尋ねたが、実はそのときその帽子を被ったままだった。

 笑うなかれ、長幼の序などと大上段に振りかぶる気はないが、亀の甲より年の功とも言うではないか。

2023年1月19日木曜日

金柑と花柚子

 キンカンとハナユズを7割方収穫した。

   〽キンカン皮喰って実ぃほかす ・・と囃すのは全国共通と思っていたが、関西以外では「知らない」という方もおられるようだ。その「実ぃほかす」の「ほかす」は「捨てる」という関西弁だから当たり前といえば当たり前だ。

考古学&古代史の小笠原好彦先生の話で、先生が国立奈良文化財研究所(当時)に来られた当初、東北出身の先生が現場で「もう少しほっといて」と言ったのに現場作業員が作業を進めなかったので驚いたという話をよく聞いた。
「掘っといて」と言った言葉が「放っといて(そのままにしておいて)」と理解されたためである。
もちろんキンカンの囃子言葉は「放かす」の方である。

さて私は囃子言葉には沿わず、種以外は皮も実もそのまま食べることが多い。庭を歩きながらポイッという感じである。種はプッと捨てる。

 ただし、今回のように収穫したときは、妻がヘタをとって砂糖と水で甘露煮にしてくれる。瓶に詰め込んでおくと適当なおやつになる。
写真のは、妻がよそ見をしているうちに少し焦げている。

   次に花ユズだが、
孫の夏ちゃんは温州ミカンのように実を食べるが、基本的には皮だけを刻んだり卸したりして料理に使う。
中身の果汁は、鍋料理のポン酢に足すのもベリーグッド。

料理のために皮を使った後の実を食べるのもお勧めだが相当な酸味だ。その分、おー! ヴィタミン‼という気になり元気が出る。ホント。
上に書いたとおり、ポン酢に足したり、いろんな料理に垂らすと料理のグレードはアップする。

ヘタをとって、ざくざくと刻んで砂糖と水で煮ると「ゆずジャム」にできる。種は料理のどこかの段階でとる。
 パンなどに塗ってもよいし、ゆず茶にして飲めばコロナウイルスも逃げる。
 邪魔くさいときはお風呂に浮かべて柚子湯にする。

家中に柑橘系の芳香が充満している。きっとウイルスも入ってこれない。

けっこうな量が採れたので、レシピ(というほど大層なものではないが)を付けて友人たちにお分けした。さらに毎日社会運動の先頭に立っておられる皆さんにも友人を通してお渡しした。夜に「かえって迷惑でなかったか」と様子を聞いたが、まあまあ喜んでいただけたようだ。コロナ退散!コロナ退散!

2023年1月18日水曜日

水鳥は哀しからずや

   鳥インフルエンザのことはよくは知らないが、何万羽という鶏を殺処分するというニュースが続くのは聞いていてあまり楽しくはない。

 原因(感染源)は渡り鳥である水鳥らしい。さらには、感染している水鳥を食べた猛禽類らしいが、そんなものが養鶏場の中にまで侵入してくるものだろうか。世界水準でいえば許されないほど閉鎖された鶏小屋なのに。

 素人考えでいえば、感染した水鳥の糞などを踏んだ人間が、靴底にウイルスを付けて持ち込んだのではないのだろうか。
 コロナのときによく語られたように、これまでひっそりと生きていたウイルスを人間界に連れてきたのは人間であり、人間どもの飽くなき経済活動であるような気がする。少なくとも桁違いに多い殺処分は巨大な養鶏施設故だろう。
 
 さて、わが家のすぐ近くの小さな池にオシドリがやってきた。2023年1月。わが家周辺では初見である。
 その艶やかな衣装からこれを吉兆と思いたいが、何かよくないところからの避難なのだろうか。水鳥は哀しがっているみたいだ。

2023年1月17日火曜日

今日は1.17

   ヒトは、心の平穏を守るため、知らずに現実を直視せず「とんでもないことは起こらないはずだ」と信じると言われている。心理学では正常性バイアスと呼ばれている。

 しかし28年前に阪神で、2011年には東日本、特にフクシマ原発で「とんでもない災害」は実際に発生した。
 故に、「悪いことが起こるかもしれないと言葉にするとほんとうにそれが起きる」というような根拠のない間違った言霊思想に捉われず、正確に現実に向き合うことが必要だろう。
 
 といって語れることは、ネット上の論文等からの知識でしかないが、先ず、南海トラフ内には、東海、東南海、南海、日向灘という4つの大きな震源域がある。
 この中で、東海の震源域は1854年の安政東海地震以来沈黙を続けている。168年間もの長きにわたり、ひずみが蓄積され続けている。東海地震の発生周期はおおむね100150年。すでに、その期間を過ぎている。
 
 南海トラフ地震が起きると、東海の震源域に溜め込まれてきたエネルギーが一気に放出されることになる。これに呼応するように東南海、南海、日向灘を合わせた4つの震源域すべてが連動する可能性が極めて高い。
 気象庁の発表によると、この南海トラフ地震が発生した際の想定規模は、M9091。これは東日本大震災(M90)と同等、もしくはそれ以上。

 予想される死者・行方不明者は東海から九州にかけての範囲で323000人、負傷者は623000人。避難者となると950万人に達し、停電は2710万軒に及ぶとされている。
 南海トラフ地震が起きれば、それに連動する形で相模トラフも動き、結果として関東でも大震災が起きる。
 つまり南海地震に端を発し、甚大な被害を生む大地震が連動して起きてしまう可能性がある。
 そういう巨大連動地震が起きれば最大30mを超える津波が起きると予想されている。これはビル9階の高さに匹敵する。東日本大震災の津波の高さが最大で167mだったことを考慮すると、規格外のスケールとなる。

 きっと1950年(昭和25年)のジェーン台風のことだと思うが、当時大阪のせんばに住んでいた私の祖母は「御堂筋から西は浸水して大変だった」と幼い私に語っていた。大阪市内は高いビルの上も怖いが地下街、地下鉄も怖い気がする。
 今日は1.17.いろんなことを考え点検すべき日だ。

2023年1月16日月曜日

1.17 近づく (2)

   私は、1.17前までは地震の備えなどは全くといってしていなかった。
 その後も、生来のズボラ故、たいした備えはしていないが、一番最初に困りそうな断水時のトイレのためには、写真のように雨水を大きな甕に備蓄している。
 水を使わないトイレについては検討中である。

 トイレの次は食糧だが、非常用の飲料水ぐらいは何本かの大きなボトルで保管している。
 風呂の浴槽は毎回使用後に清掃して水を張っておくようにしている。
 保存食は救援が来るぐらいまでの量は備えている。
 薪コンロもあるから、これで救援が届くまでの炊き出しもどうにかなるのではないかと考えている。

 電気方面は、スマホ用のモバイルバッテリーは充電済みで用意できている。
 懐中電灯は、先日テストをしたところ弱っていたので若干補充もした。
   そして写真のとおり、手回しとソーラーで発電・充電のできる懐中電灯付きラジオを常にスタンバイさせている。

 救急袋はいつの間にか無くなったから、ざっとそんなところだし、非常持ち出しの貴重品は妻に任せているから、不完全極まりない。

 皆さんの準備状況や注意している事項など教えていただければ幸いだ。
 1.17ぐらいは心の点検をしなければ。

2023年1月15日日曜日

鳥媒花

   わが家のロウバイが満開で庭中に芳香を漂わせている。
 この花、ほとんど昆虫の来ない真冬に花を咲かせてどうするつもりだ!と常々思ってきた。
 きっと風媒花なのだろうと勝手に解釈してきた。
 鳥媒花ということも考えては見たが、それは熱帯地方の大きな花のことだろうしハチドリのイメージがあった。

 しかし、いらぬ既成概念を捨てて鑑賞(観察)していると、毎日毎日せっせと受粉に励んでいる媒介者がいるではないか。

 メジロそしてエナガ。・・ヒヨドリも密を吸いに来るが、しばしば花ごと食い散らかすから彼奴を媒介者に数えてよいかどうかはわからない。
 
 実際、花が終わったら実(種)をたくさんつけるから、受粉には成功している。とすると、分類としては鳥媒花、そして貢献度一番はメジロであろう。
 ただ、ロウバイの実(種)はあまり美しくはないから、私はせっせと摘んで捨てている。
 ロウバイにもメジロにも、少し申し訳ない。

1.17 近づく(1)

   四半世紀以上も前のことになった。
 28年前の(1995年)1月17日を体験するまでは「関西に大地震は来ない」と根拠もなく信じていた。大地震は東海、関東、東北のことだろうと漠然と思っていた。

 大阪の私鉄では如何にも近鉄だけが「点検しながら細々と運行」していたので、とりあえず駅に行き、西大寺駅には下りずに始発駅の奈良駅まで行った(西大寺駅のホームは溢れて危険だった)。ダイヤは無茶苦茶だがとりあえず上本町に着き、さらには馬場町まで行くことができた。

 入ったビル内では机やロッカーが倒れたり移動したり・・・。今日一日で片付くだろうかなどと考えながら作業をし始めていると、出先から電話が入り、「ガス工事会社や水道工事会社が神戸の復旧に入るが工事契約はない。死傷した場合の補償はどうなるか」と問い合わせ。

 ここに書けば判り易いが、当時はほんとうに実情が何も判らず、兵庫にも東京にも電話は繋がらず、かといってあやふやな返事はできず、考え抜きながら大決断をした。

 その夜は、不謹慎に思われるかもしれないが、ニュースを見ながら居酒屋でクールダウンをしなければ帰れなかった(理解してほしい)。

 追記  あの日は、当時は現金での給与支払い日だったから、妻を含め各部署のその担当者は必死になって出勤した。その後の兵庫の支援活動などは、自分の家が被災して生活がままならない職員までもが東奔西走した。そういう非常事態の下で本来大事な職場の連帯に筋違いなヒビが入ったりして、しんどい時代だった。
 もし同様の事態にが生じた場合は、現役の労働組合執行部は、経験ある大先輩の声も参考にしてもらいたい。少々は役に立つだろう。

2023年1月14日土曜日

春のピクニックへ始動

   わが社のOB.OGの皆さん。
 春の遠足の日程が決まったので、予定表の4月13日(木)に印しを!!

 世話人会では、いつまでも中止中止では会も会員もフレイル(社会的原因による不健康・虚弱)になる。
 秋の経験を踏まえて春も前向きに取り組む。
 ただし「背割り堤の花見」は密集を避ける意味で今回は不採用。またハイキングも会員の体力から保留。ということで、屋外で短距離の平面移動で、少し文化的な場所を選んでピクニックのイメージ。・・・ということで準備しつつある。乞うご期待。

   現役のOさんが、わが会の歌を「初音ミク」さんでレコーディングしてくれた。
 理屈抜きで愉快な快挙だが、多くの世話人は対応できず、・・・・嗚呼。
 QRコードを貼っておくのでご参考に。
 うまく再生できない場合はメールアドレスをつけてコメント等をしてほしい。

2023年1月13日金曜日

串柿、天に上る

   先日、お正月飾りを「とんど」で焚き上げたと書いたが、その折に鏡餅も鏡開きをした。といっても、ご案内のとおりパカッと開けて中の小餅を取り出しただけである。余談ながら、今年のは容器?が簡便に処理できるように進歩していた。それはさておき。

 鏡餅には、別途、裏白、昆布、串柿を加えていたが、その串柿は「これは装飾用である」つまり普通の干し柿として食べるなと書かれていた。なので、裏白や昆布は「とんど」で焚き上げたが串柿は余った形になった。

 そこで、真ん中から2本に折り、小鳥たちに「お裾分け」することにしたところ、翌日、そのうちの1本がなくなっていた。犯人は誰だ!

 構造上、猫や哺乳類は考えられないから、容疑者はヒヨドリかカラスに絞られるが、もっとも高い可能性はカラスだろう。

 昔、枚方の部署で働いていたとき、職掌柄、建物の屋上に上ることが多々あったが、ザリガニなどの殻がたくさんあった。カラスが咥えてきて、その身を食した痕だった。だからあの串柿、きっとどこかの屋根の樋あたりに竹串が残っていることだろう。

 東大寺二月堂の修二会(お水取り)では、練行衆が食事の後一握りの飯を屋根の上のカラスに投げ与える「生飯(さば)投げ」という作法がある。
 そのことを思うと、鏡餅の串柿をカラスが持ち去ったことも、何ら怒るべきことでなく、どちらかというと、民俗行事としてはド・ストライクではないかと思うのだった。

2023年1月12日木曜日

「自分の国は自分で守る」の嘘

   「自分の国は自分で守る」と、政権与党や維新などが軍事費倍増方針の根拠づけのために言い出した。
 ウクライナのニュースを見ていると一見リアルで説得力があるようにも見える。

 そこで、さらにリアルに問題を整理してみよう。
 第一に、日本列島にズラーと原発を並べておいて、戦闘力で国を守ると叫ぶのはドン・キホーテよりも愚かでないか。
 戦争を想定して国を守るというなら、戦争に一番弱い原発を全廃する方がイの一番であることは明らかだ。それこそウクライナの現実を見よ。
 そして食糧自給率とエネルギー自給率を安心水準まで高めておくことが絶対に必要だが、「国を守る」と叫んでいる人々は正反対のことをしている。彼らこそ「お花畑」と言うべきでないか。

 第二に、「自分の国は」などと勇ましくおっしゃるなら、少なくとも在日米軍基地から他国への出撃は一切するなと米国に約束させなければならない。
 これこそリアル中のリアルな課題だ。
 在日米軍基地からミサイルを発射したり爆撃機を発進すれば、「敵」は当然「敵基地たる日本領土の基地」に反撃するだろう。「敵基地攻撃能力論」はそれを当然の前提としているのだから。

 そこでリアルに考えると、日本にとって一番危険な現実的想定は、「日本は弱そうだから侵略しよう」という国が出てくる話ではなく、アメリカの仕出かした戦争のために在日米軍基地周辺に戦火が生じることだということは誰でも解ることではないか。

 リアルついでに言えば、中国国内のコロナ禍のために日本の自動車が製造できない、電化製品が製造できないというグローバル社会で、それこそ戦争被爆国日本こそが、「軍事同盟を止めて平和共存の外交」をとイニシアティブを発揮すべき時だろう。
 「自分の国は自分で守る」と意図的に叫んでいる人たちは、ウクライナのニュースに思考停止したか、これ幸いと軍事関係利権に群がろうとする人々でないか。
 そしてそういう者こそ普通には「売国奴」と呼ぶのではなかったか。

2023年1月11日水曜日

キツツキは米を食べられない

   お正月になると毎年「十二支になぜ猫が入っていないのか」というクイズ?が繰り返されるが、タイやベトナムでは今年は兎ではなく猫年だとラジオで言っていた。

 本家中国の「猪」が一般に豚を指しているということは知っていたが、この「猫の入っている国もある」という話は知らなかった。

 鳥類学者?国松俊英氏の本に十二支物語に少しだけ似た話があった。それは・・・
 🔳お釈迦様が亡くなるとき、あらゆる生き物が集まった。スズメはお歯黒をつけている途中だったが直ぐに飛んで行ったが、キツツキ(アカゲラ)は知らせを受けてから赤い布を買いに行って美しい着物をあつらえ、それを着て行ったので間に合わなかった。そのため以後スズメは米を食べることを許されたが、キツツキは堅い木をつついて虫しか食べることが許されないようになった🔳

 私はコゲラが熟柿をつついて食べているのを実際に見たことがあるから、若干の保留意見はあるが、なかなか的を射た楽しい昔話だと思っている。

 ニュータウンが出来たての頃はあまり見た記憶はないが、街の成熟とともに街路樹や庭木も成熟してきたせいか、近頃はコゲラもよく見るようになった。
 「カラの混群」といって、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、メジロなどと一緒になって各家の庭を渡り歩く。写真はわが家の柿の木をつついているところ。

 人間界では「乳幼児ゆさぶられ症候群(SBS)」という虐待が問題になっているが、キツツキ界ではどうなのだろう。
 別の本には、キツツキの頭骨はとても厚く丈夫にできており、木を叩くショックを頭骨全体で受け止めて吸収している‥とあった。

2023年1月10日火曜日

とんど

   この国は不思議な国だ。テレビをつけると「二十歳のつどい」だ「十日戎」だと賑やかで、「もうすぐ春節休暇のインバウンドが再開されるだろう」とどことなく浮かれている。

 同じ日の新聞は社会面にこじんまりとコロナを報じて、朝日新聞の9日版でいえば、コロナ死者数が8日に6万人を超えた。5万人を超えた12月1日から1か月余りで6万人に達した。8日の死者数の最多は大阪府で29人。8日の新規感染者数は18万余。1週間前の1月1日よりも10万人余多い。エトセトラ。この落差は何だろう。

 まるで弱肉強食だ。自己責任だ。コロナより金儲けだ、経済で殺されていいのかと政府は舵を切ったのだが、庶民は、感染力が落ちたらしい、ヨーロッパも中国もマスクを外したらしい、普通のインフルエンザと変わらなくなったらしいと、洗脳に気づいていない。

 そんなわけで、昨年一昨年はネットでお詣りをしてカード決済で福笹を戴いていた十日戎。今年こそは今宮戎に実際に行こうと思っていたが、あの混雑に突入するほど私は思慮浅くはない。

 ということで、今年の十日戎はパスすることにして、わが庭でささやかな「とんど」を行って正月行事を締めくくることにした。
 「とんど」といっても正月飾り関係を焚き上げただけだが、生ごみとして出すのとは違って気持ちがいい。
 おまけにその清浄な火で焼いた焼き芋を夫婦で戴いて2023年の平和を炎に託した。

 先日、ユーラシア研究フォーラムでのキャミラ・マジュルーノヴァ氏発表の「タジキスタンのゾロアスター教拝火寺院」なる論文を読んでいたこともあり、炎に神聖な力を見た先人たちと共鳴したかのような気分になった。私は「とんど」や密教系の護摩供の背景にゾロアスターの拝火の思想を見る。
 ただの焚き火と言うなかれ。

2023年1月9日月曜日

書の世界

   昨日は奈良公園の興福寺を歩いたことを書いたが、なぜ奈良公園に行ったかというと、けっこう大規模な「書」の展覧会があり、文科大臣賞を受賞した孫の夏ちゃんの書が展示されたからである。

 子ども達の「書」はほんの少しで、圧倒的には大人の大作ばかりだった。

   私たち夫婦はというと全くの門外漢で、作品の最後に氏名(号)があって「出」という風な感じの文字で〆られているのを、「出はおかしいなあ」「画で、書いたということだろうか」などと言いあい、結局大先生らしき人に尋ねて、それは「書」で「書く」と読むと教わった。

   それはさておき、かつて琵琶湖の湖西の安曇川で、(高島)虎斑石(こはんせき)という石が採られ、それを手作業で彫って硯を作る産業(技術)があり、知人の父上がその名工であったので、書からは遥か縁遠い身ながら手に入れた硯があった。

 もちろん、今は夏ちゃんにプレゼントしている。あえて言えば、そのことで万分の一ほど祖父ちゃんも貢献したことにならないか。

 ネットに虎斑石の硯作りの写真があったので貼っておく。
 彫刻刀の親玉みたいな鑿を肩あたりにあてて、上半身の力で彫るものである。

2023年1月8日日曜日

国宝三重塔

   国宝の建造物が1件もない都道府県があるというのに、この国宝の三重塔は見物客が一人もいなかった。お正月の7日、3連休の初日の土曜日というのに・・・。
 圧倒的な旅行客は文化や歴史の興味よりも、ガイドブックやテレビ等で仕入れた情報に流されていないだろうか。
 奈良は興福寺南円堂のすぐ近くだというのに、写真のとおり国宝を独り占めしてきた。

 ・・・そういう私だって、国宝とされているからしみじみと眺めるのだが、その種のお墨付きを聞かなければ見向きもしなかった可能性もある。

 人間みんな、けっこう情報に踊らされている。

 通販生活春号に中村文則氏の文があり、そこで紹介されていた「戦争プロパガンダ10の法則」(アンヌ・モレリ著)の10の法則は、
①「われわれは戦争をしたくはない」
②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
⑤「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
⑨「われわれの大義は神聖なものである」
⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 三重塔をパスしているとまんまと取り込まれそうだ。

2023年1月7日土曜日

仕事始

   そろりそろりと仕事を始めている。
 来週某日に使用する文書を書き上げて印刷を終えた。
 約1か月先の講演レジュメと資料を作成して送信した。
   講演原稿も8割方作成したが、この方は完成とは言い難い。
 正月ボケを脱却しようと「暖機運転」中である。

 若い方は「暖機運転」と言われてもポカンとされるだろう。
 電気自動車が「普通」になりそうな時代に、まだガソリン車があれこれのITで制御されていない時代の話だから。
 その頃は人間とエンジンが友達関係にあった。
 買い替えた新しいクルマにあるべきものがなく、「チョーク※はどこですか」と尋ねたのは遠い昔のことになる。(※空気を遮断して燃料を濃くして着火しやすくするボタンレバー)

 「暖機運転」という言葉には、アイドリングという言葉にはないものがあった。
 私の初めてのマイカーは「空冷」だったから、「暖機運転」をすると町内中が白煙に覆われた。エンジンは後ろにあった。前がトランクというか空っぽで、今から考えると衝突事故を起こさなくてよかった。
 どうでもよい昔話である。

 クルマつながりでいうと免許証更新手続きに行ってきた。
 度々語ってきたとおり視力(主に乱視)の低下が酷いので少し心配だったが、交通安全協会の親切な女性が「これはどうですか」「これはどうですか」と当る(?)まで尋ねてくれて、「ハイ合格」となった。眼鏡の条件なしであるが、これも、どうでもよいこだわりである。

2023年1月6日金曜日

不亦楽乎(また楽しからずや)

   昨日は墨子先生だったが今日は孔子先生にお出まし願って、有朋自遠方来不亦楽乎(友あり遠方より来る・・・)だ。

 「元旦」という日付の書簡を「朋」から頂いた。
 旧冬コロナに感染し、38度の熱発の下で見たという沖縄国独立の夢の話だが、鋭い文明批評であり義憤であった。

 元日の私のブログ記事にも触れていただき、ブロガー(ただブログを書いている者というだけの意味)冥利に尽きる。ありがとう。

 さて書簡の前文には朋が「森羅万象に興味があり、逆に〔普通]の人が抱く物事に興味のないこともある」とあったが、全く同感だ。
 そして、今後私の「勝手弟子」を名乗るとの通告も入っていたが、もちろん師弟ではなく「朋」である。あえて言えば「大日本へんこつ党」の党友どうしと言ったところだろうか。

 丁度その日の朝に新聞2面見開きで宝島社の「全面広告」があった。キャッチコピーは「団塊は最後までヒールが似合う」で、コメントには「どうか死ぬまで突っぱって生き切ってくれ」という文言もあった。

 そのとおり、こうなれば、近頃流行りの「年賀状終了宣言」などせず、書けなくなるまで出し続けようと思う。
 妻が「あんたの年賀状路線は引継げない」というので、最後の喪中はがきのあいさつ文は私が作るから発送だけは頼むと言ってある。

 人はどう思っているか知れないが、これでも宮仕えのころは丸く丸く生きてきたつもりだが、人生後半生は誰に気兼ねもなく自由に発言もし生きたいものだ。
 その楽しい時期に「賀状終了」が流行っているのはもったいない気がするが如何。

2023年1月5日木曜日

墨子を覗き見る

   昨年の後半ごろから急激に文字が読みづらくなり読書が進まず、かといって、書店には興味の湧く書名が並ぶので、読みかけの本が積み重なったまま年を越した。その一つが半藤一利著『墨子よみがえる』である。
 少し読んでは置き、少し読んでは別の幾分軽い本を読む。

 年賀状を数々頂いたが、世を憂える言葉も多かった。安保3文書の閣議決定がもう少し(11月ぐらいに)早ければ、もっとその声は多かっただろう。
 
 戦争か平和か、というよりも正に「戦前にしてはならない」という心配や決意が膨らんでいる。・・読みかけのこの本を引っ張り出して、もう一度よみなおさなければ・・。

 墨子については、白川静氏の著書で感銘を受け、その思想は行基集団に辿り着いたのではなどと勝手に想像したりしていたが、半藤一利氏は墨子を徹底した非戦論者、反戦思想と捉え、第二次世界大戦下で育った経験から「今こそ日本国民は墨子を読むべし」と遺言されたのだった。

 この本の後ろには、「現代日本の墨子」と氏が讃えた中村哲氏との対談も付いている。
 これ以上の視力の低下が進まないうちに読書再開だ。

2023年1月4日水曜日

大饗

   大饗(だいきょう)は平安時代の正月の大宴会などのことである。
 堺市美原区に大饗という地名があり、ここでは「おわい」と読んでいる。難読地名のひとつであろうが「おお・あえ」と考えるとあまり不思議ではない。

 それよりも、この地でどんな公式大宴会があったのだろうという方が長年の疑問であったが、「饗」は「郷」であり、向かいあって食事をすることから「向かいあった村里」との説もあるようだ。

 3日には夏ちゃんファミリー凜ちゃんファミリーも揃って大饗を行った。
 そして宴会後は、百人一首、坊主めくり、福笑い、プラレールなどで大いに遊んだが、私は飲み過ぎて半分以上ソファーでまどろんだ。

 もったいない程のんびりしたお正月となった。
 長い老々介護の頃はこれほどのんびりしていなかった。次に私が介護されるころまでの幸せを噛み締め思い出にしておこう。

 写真のとおり夏ちゃんは和歌を上手に読めるようになった。
 凜ちゃんは「あけましておめでとうございます」と、こんな長い言葉を初めて語ってくれた。2023年のお正月は長閑だったと記録しておこう。

2023年1月3日火曜日

ヒヨドリのプーチン

   今年の元日はいささか暇であったので、よほどのこと伏見稲荷へ初詣に行って雀の丸焼きでも食べようかと思ったが、コロナ禍のことを思うとここは辛抱(自重)すべきだと自身に言い聞かせて止まった。

 そして、伏見稲荷の代わりに、2日にはショッピングモールの駅弁コーナーで稲荷つながりで豊川稲荷の稲荷ずしを買ってきた。しかし、それは全くただの稲荷ずしだった。もっと言えば何の工夫もない野趣もない田舎の土産物だった。初失敗。
 
 さて、写真はわが庭のプーチンである(2日のブログ「初雀」参照)。
 小さく可愛い野鳥をいじめるのも気に食わないが、私の大好きな蝋梅の花の密を吸うだけでなく花そのものを食いちぎるのも憎たらしい。
 このプーチン、実はペアである。他のヒヨドリに対してだって「オレの領土だ!」と凄まじく暴力的に追い払うのだが、ペアだけはペアで仲良くわが庭を見張っている。

 なお、ヒヨドリは渡り鳥でもあるが、わが街には1年中留まっている。人間界周辺は冬でも餌が豊富だから留鳥になったとも言われているが、気候変動・温暖化は関係ないのだろうか。

 昔、NHKのアーカイブかなんか(新日本紀行?)で田舎の山の中のお婆さんが昔の思い出を語っていたが、「こんなこと言っていいのかえ」と前置きして、「小学校のときの弁当には鳥の丸焼きがご飯の上に乗っかっていた。旨かった」と恥ずかしそうに語っていた。
 ヒヨドリかツグミあたりではなかっただろうか。
 テレビの前で私はその密猟を笑ったが、なんとも思い出に残るほほえましい番組(シーン)だった。

 そういえば伏見稲荷でも昔は雀の丸焼きと共にツグミの丸焼きが売られていたが今はない(と思う)。今は飼育されたウズラのそれがある。ほんとうに飼育されたものかどうかは知らないが、違法な狩猟よりも飼育の方が簡単だろうと納得している。
 雀は決められた狩猟期間と地域において認められた者が捕獲しているはずである。よって雀の丸焼きを食べる分には違法でも何でもない。

2023年1月2日月曜日

初雀

   いつも見慣れている風景が何とはなしに違って見えるのが元日である。
 違って見えなくなったら感受性が枯渇したときだろう(と思う)。
 ということで、(心が)枯渇しないように、元日の朝一番にバードテーブル(野鳥の餌台)に餌を入れた。

 「年越し村」に大勢が並んだというニュースがあったのに、こんな呑気な初仕事で良いのだろうかと自問しながら、そんな今年の現状に感謝した。

 初雀はもちろん新年の季語である。
 歳時記には 初雀初ひよどりに追はれたり 草間時彦 というのがあったが、あまりにぴったりのドラマが展開された。

 これはお正月に限ったことではなく、実は我が家の庭を勝手に「わが領土」と主張するプーチンみたいなヒヨドリがいて、他の鳥が来ると、空腹でなくても暴力的に追っ払う。せっかく静かな新年を愛でていたのに現実世界を思い起こさせる悪い奴だ。

 ただヒヨドリにはヒヨドリの言い分もあろうから、対話こそが大切で、西の方ではNATOの拡充。東では敵基地先制攻撃の軍拡というのが正しいはずがない(頭を冷やそう)。
 一方的に侵略されたウクライナに「今すぐ軍事力で対抗するのを止めよ」という気は全くないが、こんな時こそ「外交のテーブルにつこう」「核は脅しレベルでも使うな」と行動するのが日本政府の「名誉ある地位」ではないのか。

 初雀から、やっぱり俗な話に行ってしまった。

2023年1月1日日曜日

新年の誓い

 新年の誓い 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


今年もどうかよろしくお願いいたします。
皆さまににとって素晴らしい年になりますよう。
2023年1月1日