2023年1月28日土曜日

2類が悪の根源なの

   岸田内閣は27日、新型コロナ肺炎を2類から5類に変更しようとしている(ブログ公開時点では決定されているかもしれない)。
 私は、街の声の多数はどちらかというと賛成しているように感じている。
 しかしほんとうにそれでいいのだろうか。

 政権が統計の全数把握を止めたから、国民には真実が見えにくくなっている。出されるデータは「山を越した」的なもののみが取捨選択されて出されているようにも思われる。
 そもそもこの新型コロナについては、当初から徹底してデータが「秘密処理」されてきたが、なおその上に・・・。

 世界では、日本のようにマスクをしている国、ほとんどしていない国、大感染(による自然免疫獲得)が起こった国、それほどでなく推移してきた国、ワクチン接種が進んだ国、そうでない国、それぞれ有意差が出てもよいのにそういう発表も全くない。

 岩田健太郎医師が『リスクを生きる』という本の中で語っているように、「局面は、ほんとうに判らない」というのが一番正直な意見だと私は思う。

 そこで冒頭の「賛成意見」だが、金儲けを企む業界と代弁者のGoToを除いても、政府の政策の現状には庶民の大きな「コロナ疲れ」がある。事実だ。
 例えば高齢者施設では面会ができない。感染者が発見されたら全員外出禁止どころか、外の医者にもかかれない。さらには「部屋から出るな」とまで・・・。
 これが「2類」ゆえであるならば、「もう嫌だ」という感情が生まれても当然だ。これに類する話は枚挙にいとまがない。

 しかしそれがほんとうに2類ゆえだろうか。2類であってもアナウンスの内容は幾らでも工夫ができる。事実、「濃厚接触者」の各種ルールも当初から比べると相当変更されてきている。
 だから、「賛成意見」の気分は痛いほどわかるが、2類でも改善できる施策は多々あるのではないか。

 5類にすると、早い話が罹ったのは自己責任となる。
 ワクチンも、今後出てくる高額の(少なくとも当初は)治療薬も自己負担だろう。
 発熱外来のない普通の医院に「明日からは5類だから診療しなさい」で上手くいくだろうか。実際には5類にすることで診療体制の崩壊が起こる恐れがある。でも5類なのだから、政府の支援はない。医院の自己責任だ。庶民の不満のはけ口を「悪い医者」に向けさせるようにも感じる。

 最後に、同調圧力かもしれないが、国民一般にしても、自分で判断するのは嫌、自分は責任をとりたくないから判断は「上の人」に決めてもらいたい‥でよいだろうか。
 無責任、事なかれ主義、減点(成果)主義・・・。政府のGoToとは別の角度からは「人間らしい生活環境」つまり交流が必要だが、その判断にあたってはただただ「危険性あり‥止めておこう」という発言が理性的なように取り扱われるのは如何なものか。
 私は、こういうような風潮は「民族の危機」だと感じているが心配しすぎでしょうか。

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