違って見えなくなったら感受性が枯渇したときだろう(と思う)。
ということで、(心が)枯渇しないように、元日の朝一番にバードテーブル(野鳥の餌台)に餌を入れた。
「年越し村」に大勢が並んだというニュースがあったのに、こんな呑気な初仕事で良いのだろうかと自問しながら、そんな今年の現状に感謝した。
初雀はもちろん新年の季語である。
歳時記には 初雀初ひよどりに追はれたり 草間時彦 というのがあったが、あまりにぴったりのドラマが展開された。
これはお正月に限ったことではなく、実は我が家の庭を勝手に「わが領土」と主張するプーチンみたいなヒヨドリがいて、他の鳥が来ると、空腹でなくても暴力的に追っ払う。せっかく静かな新年を愛でていたのに現実世界を思い起こさせる悪い奴だ。
ただヒヨドリにはヒヨドリの言い分もあろうから、対話こそが大切で、西の方ではNATOの拡充。東では敵基地先制攻撃の軍拡というのが正しいはずがない(頭を冷やそう)。
一方的に侵略されたウクライナに「今すぐ軍事力で対抗するのを止めよ」という気は全くないが、こんな時こそ「外交のテーブルにつこう」「核は脅しレベルでも使うな」と行動するのが日本政府の「名誉ある地位」ではないのか。
初雀から、やっぱり俗な話に行ってしまった。
プーチンの侵略を見て、軍事ブロックを強化しようという議論があるが大きな勘違いではなかろうか。軍事ブロックに頼って主張を通そうという考えこそが緊張を高めるのだろう。軍事ブロック解消、非軍事的外交という大方針こそ世界史的な流れだと思うのだが。
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