2023年1月17日火曜日

今日は1.17

   ヒトは、心の平穏を守るため、知らずに現実を直視せず「とんでもないことは起こらないはずだ」と信じると言われている。心理学では正常性バイアスと呼ばれている。

 しかし28年前に阪神で、2011年には東日本、特にフクシマ原発で「とんでもない災害」は実際に発生した。
 故に、「悪いことが起こるかもしれないと言葉にするとほんとうにそれが起きる」というような根拠のない間違った言霊思想に捉われず、正確に現実に向き合うことが必要だろう。
 
 といって語れることは、ネット上の論文等からの知識でしかないが、先ず、南海トラフ内には、東海、東南海、南海、日向灘という4つの大きな震源域がある。
 この中で、東海の震源域は1854年の安政東海地震以来沈黙を続けている。168年間もの長きにわたり、ひずみが蓄積され続けている。東海地震の発生周期はおおむね100150年。すでに、その期間を過ぎている。
 
 南海トラフ地震が起きると、東海の震源域に溜め込まれてきたエネルギーが一気に放出されることになる。これに呼応するように東南海、南海、日向灘を合わせた4つの震源域すべてが連動する可能性が極めて高い。
 気象庁の発表によると、この南海トラフ地震が発生した際の想定規模は、M9091。これは東日本大震災(M90)と同等、もしくはそれ以上。

 予想される死者・行方不明者は東海から九州にかけての範囲で323000人、負傷者は623000人。避難者となると950万人に達し、停電は2710万軒に及ぶとされている。
 南海トラフ地震が起きれば、それに連動する形で相模トラフも動き、結果として関東でも大震災が起きる。
 つまり南海地震に端を発し、甚大な被害を生む大地震が連動して起きてしまう可能性がある。
 そういう巨大連動地震が起きれば最大30mを超える津波が起きると予想されている。これはビル9階の高さに匹敵する。東日本大震災の津波の高さが最大で167mだったことを考慮すると、規格外のスケールとなる。

 きっと1950年(昭和25年)のジェーン台風のことだと思うが、当時大阪のせんばに住んでいた私の祖母は「御堂筋から西は浸水して大変だった」と幼い私に語っていた。大阪市内は高いビルの上も怖いが地下街、地下鉄も怖い気がする。
 今日は1.17.いろんなことを考え点検すべき日だ。

5 件のコメント:

  1.                        阪南市 稲垣久則
    28年前大きな揺れで目が覚め、下から妻と娘が「お父さん下りて来て!」と怒鳴る様に叫んでいた。二人は食器棚が倒れまいと必死になって両手で抑えていた。南海電車に飛び乗り出勤、しかし二駅走ったところでストップしたまま午前が過ぎた。海に出てみると関西空港のはるか向こう神戸の街の上に煙が立ち上っていた(火災だ!)。翌日、西淀病院事務長室に集合し、とりあえず東神戸病院へ行ってくれるかと。国道2号線は大渋滞というより全く動いていなかった。出発前腹ごしらえで中華の店に行った。「神戸の病院に支援物資届けに行く」と言ったら、店長が「ちょっと待って」と大型の電気釜一杯に「チャーハン」を調理してくれた。「どこでもええから届けたって」と。病院救急車はサイレンと緊急点灯を回転させ、国道2号線の上り線を逆走した。病院の受付はカルテが飛び散っていた。入り口近くの救急室では、緊急処置をしている様子がガラス越しに影絵のように動いていた。フランスともう一か国の外国通信員がインタヴュしていた。バナナが良いと一般報道されたので、全国から送られてきて、食養科の倉庫はバナナの段ボールで満載だった。夜遅く、医療の仲間・京都大学病院労組婦人部から支援の段ボールを受け取った。美味しそうなお握りだ。添え書きを読んだ「ゴメンネこんな少しで・・・・・もっと支援物資送るからね」と。文字が滲んだ。感動的な話が書きつくせない・・・・。全国から医療スタッフと医薬品の支援が続々と送られてきた。民医連で働いてきて良かったとつくづく想った。

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  2.  稲垣さん、貴重な経験談ありがとう! 中華料理店主のところなど読んでいる途中で涙が出ました(歳をとると涙腺が甘くなる)。古い友人たちに会ったらキハチのブログ、紹介よろしく。

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  3. 了解しました。昨秋、東京へ行った時の体験も投稿させてもらいます。  関東大震災朝鮮人受難者追悼碑を訪ねて
                                 
    民医連退職者会の全国総会が東京であったので、7時台の新幹線に飛び乗り墨田区八広6丁目(荒川土手下)にある、関東大震災時 韓国・朝鮮人受難者追悼の碑『悼』」にお参りに行ってきました。以前から行かねばとずっと思い続けていた所です。東京駅から地下鉄を乗り継いで、京成電鉄押上線の八広駅で下車しました。駅からは徒歩で5分もかからない荒川の土手下にひっそりと碑がありました。お花を手向けようと花屋さんを探しましたが残念ながら見つけることが出来ませんでした。日本の美味しい静岡のお茶をいっぱい飲んでもらおうとペットボトルと、韓国風ポテトチップ(ハングル文字の包装)をお供えし、お詫びと哀悼の意をもってお参りしました。碑の両側には遅咲きの鳳仙花が咲いていました。石碑をなでなでして帰ろうとしたとき、坂上から一陣の風が吹き鳳仙花がゆらいで「もう帰るの・・・・」と言って見送ってくれました。土手を駆け上がると、河川敷は公園のように芝生で整備されていました。空を見上げるとやさしい形をした明るい雲が悠々と青空に漂っていました。99年前の惨劇を忘れたかのように・・・・。日韓友好を願うのであれば、過去の過ちを検証し、語り繋いでいくことから、和解の第一歩が育んで行けるのではないでしょうか。     稲垣久則
     

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  4.  この事件と、そういう厳粛な歴史を修正しようとする小池都知事の許せない姿勢については、このブログでも毎年の9月1日前後に何回か書いてきました。
     貴方の行動力には心から敬意を表します。

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  5. 毎年9月の「先見の明」に富んだ銘文 拝見させていただきます。

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