「墨子は戦争反対を徹底して主張していた」からだという。
そういえば半藤一利著『歴史と人生』にこうあった。
墨子はあに侵略戦争のみならんや、骨の髄から戦争そのものを嫌った。いかなる戦争にも正義はない、と説きに説いた。戦争をなくそうと主張した。攻めるほうにも守るほうにも戦いをして何一つ利するものはない、害あるのみ、と説いた。ただいたずらに人々の生活が破壊され、大量の物質が消費され、何の罪もない人の生命が奪われるのみ。治国平天下、ヒューマニズム(兼愛)によって平和を維持して、人びとを安穏幸福たらしめよう、それこそが人間のなすべきところ、と墨子はひたすら奮闘努力しつづけたのである。・・と。
さて墨者・墨家について「白川静の世界Ⅲ思想・歴史」では、彼らはもと百工とよばれた器物などの制作者で、「墨子」に機械や兵器の製作などの技術に関する内容が多いのは、墨子の学の成立した基盤がこのような製作者集団であったことを示す。(中略)墨子集団は非常に実践的性格を有していた・・と指摘されている。
これを言いかえれば、目線があくまで庶民に向いており、技術の底の自然科学を信じていたと言えようか。例えば、建物を建てる場合、いくら夢のお告げだ、あるいは風水だと言っても、細い少ない柱で重い屋根は支えられないから、観念論は意味がない。
確かに、魂を悪魔に売れば技術開発は非人道的な兵器や戦争に向かうが、一般的には技術の延長で自然や社会をありのままに見れば、為政者の嘘に騙されることはない。いや少ない。
書店で墨子を手にとっては見たが、当座の我が生活と天秤にかけて高価なのでひっこめている。いつかは読むつもりだ。
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