先日からBSーTBSで『関口宏の一番新しい古代史』という番組が始まった。入門編のようであまり期待もしていないが、吉村武彦氏、松岡正剛氏と共に進行されるので、おおむね好意的に視聴している。
そこで、先の「婢千人を以って自ら侍らしむ」のところだが、「女性が千人も?」という関口氏の問いに吉村氏は、「千人もいればその食事だけでも大変で、千人は誇張だろう」と答えていた。それで終わりだった。
さて、それでよいだろうか?。精確な数字ではなくてもそれは何らかの重要な事実を表現していないのだろうか。
少なくとも、卑弥呼は女性の奴婢を大勢使用していたのはどういうことなのか。
相当以前に『邪馬台国と鉄の道』の小路田泰直氏の講演を聞いた時、「半島の鉄の入手を考えるとき、(九州にしても畿内にしても)倭は、何を持って行って鉄と交易したのか?」と講師が語られて大いに刺激を受けたことがあるが、先日、小笠原好彦先生の『古代の絹生産と貢納』の講義でこの点を同様に指摘され、遠い記憶と結びついていく感じが嬉しかった。
大勢の婢は、桑の栽培、養蚕、糸取り、機織に従事したのではないだろうか。
そうして作られた錦、綾等の絹製品こそ、鉄の代価ではなかったか。
倭人伝でも、卑弥呼は斑布を奉じている。
それを、「千人は多すぎるから誇張だろう」で読み飛ばしていいはずがないが、ほとんどの関連する著作類ではほゞ読み飛ばされている。
魏志の国つまり中国では政治のことが中心に史書が書かれているが、「政治は経済の上部構造」という厳粛な事実を踏まえて勉強を進める必要があると思う。こういうことを考えるのは楽しい「趣味の時間」である。
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