今日5月15日は沖縄の本土復帰(1972年)後50年の節目である。
「ちひさきものはみなうつくし」がこの国の美意識でありその精神が伝統だとしたら、この小さな島に全国の米軍基地の7割を押しつけて知らぬ顔を決め込んでいる政権と、その与党に日本の文化や伝統を語る資格は全くない。
「ちひさきものはみなうつくし」がこの国の美意識でありその精神が伝統だとしたら、この小さな島に全国の米軍基地の7割を押しつけて知らぬ顔を決め込んでいる政権と、その与党に日本の文化や伝統を語る資格は全くない。
50年の節目とあって先日来新聞テレビがいろんな特集を組んでいるが、たまたま視聴した『笑う沖縄百年の物語』(NHKの再放送)も実によかった。
沖縄の笑いには、権力者への風刺と沖縄への愛情があふれている。本職は医師でありながら「沖縄のチャップリン」と呼ばれた小那覇ブーテン、 「ワタブーショー」で大人気を博した照屋林助、 沖縄文化を堂々と打ち出した「笑築過激団」、 米軍基地を笑い飛ばす「お笑い米軍基地」など、沖縄の笑いの歴史を集大成したドキュメンタリー🔳となる。
ネットを繰ったら下記のアドレスの『dailymotion』にその番組(たぶん)の動画があった。約1時間だが、時間が許せば視聴をお勧めする。
https://www.dailymotion.com/video/xnthxk
番組中の「お笑い米軍基地」のひとつのコントは何故か少し控えめだった。
私が以前に知っていたのは、『お爺さんが危篤で縁者が見守る中で遺言を言い始めたが、飛び立つ爆撃機の爆音にかき消され誰も何も聴き取れぬまま爆音が去ったときにはこと切れていた』というものだった。
そういう桁違いのブラックジョークに、「あるある」という感覚で笑いで応じていた観客であるウチナンチュー(沖縄人)の底抜けの悲しさと逞しさに、私は笑いを忘れていた。
人間は余程意識的に勉強しないことには、自身が生まれる前の出来事は歴史物語のように感じるものではないだろうか。それが離れた地のことならなおさらだ。
私の場合は、就職して、わずか3~4歳年上の先輩が「焼夷弾の下を逃げまくった」と語るのをなかなか実感できなかったし、上司たちの戦場での体験談は全くの物語だった。
だから現在、娘と話していて、「あなたが生まれる少し前まで沖縄は”日本”でなかった」「復帰直後の沖縄に行ったが、金網の外でも車を止めて基地を覗くことはできなかった」というのを、「へえ~」という風に(ええ大人である)娘は反応した。50年というのはそういうものである。そういう人々が人口の少なくない層を占めている。
「語り継ぐ大切さ」をしばしばコメントにいただくが、いくら微力であっても語るのと語らないのでは決定的な違いがある。
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