そして燕は人家の玄関などに巣をつくるから馴染みも深い。
燕が巣をつくる家は栄えると言われて喜ばれるが、毎年来ていた燕が巣作りに来ない年は不幸があるとも言われたりする。
その「不幸の予知」が嫌だからと、慶応生まれの私の祖母などは燕の巣作りを嫌った。
燕が巣をつくる家は栄えると言われて喜ばれるが、毎年来ていた燕が巣作りに来ない年は不幸があるとも言われたりする。
その「不幸の予知」が嫌だからと、慶応生まれの私の祖母などは燕の巣作りを嫌った。
「不幸の予知」というとその最たるものは人間ドッグではないだろうか。
永久の命がない以上、やたらに病気を発見されて闘病生活に入るか、知らずに健康を信じて生きるか毎年迷っている。
発見された時に「手遅れでした」と言われて悔いが残るかどうかだと思ってとりあえずは受けているが。
病院通いを続けているが、昨年でいえば、X線、造影剤、MRI、CT、エコー、血液、尿、腫瘍マーカー、心電図などなどいろんな検査をした。確かに図や数値を示して説明されると解りやすいが、どうも医師の関心は生身の私よりもデータの方に向いているように思う。
心電図なんかは、「全く問題ありません」と言われてその病院の帰りに不整脈を発症したのだから、数分/(何日×24時間×60分)のデータでしかないから、その瞬間は正常でしたという事でしかない。燕の予知の足下にも及ばない。
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