ウクライナのことを考えると、理屈では解っていても感情が追いつかない、ある種の無力感のようなものを拭うことができない。
もちろん、ウクライナへの義勇軍などは思いもよらないが、心のホンの片隅に「もっとNATOが乗り出しても」・・などと思ってしまう(軍事同盟の解消を願いながら)。つまり、自分自身のロシア糾弾、ウクライナ支援の無力感がちょっと顔を見せる。
どうしようもない不正義を目の当たりにして、安全地帯から言葉やカンパで支援するだけのもどかしさだ。
頭の中では、シリアでも戦争状態はある。アフリカ諸国でも中東でも東南アジアでも酷い人権侵害はある。ウイグルやチベットの地だってそうだし、北朝鮮もそうだろう。
ただ、ニュースがロシア程には報道され続けられないから、それらに係る支援行動等が全く不完全であっても実際に大きな無力感はない。そう考えると、広い見地から見るとそれらもけっこうエエカゲンなもので、世界中の人の命や人権に軽重があるわけもない。
とは解っているのだが・・・。
ということで、とんでもない不正義を日々目前にして、それでもなおかつ絶望せず、文字どおり「一隅を照らす」営みを淡々と歩んでこられた中村哲医師の言葉を再確認したくなった。そしてこの本を買って来た。
232頁に及ぶ本の内容を紹介するスペースも能力もないが、少し私の気分に響いた部分を紹介する。
🔳【中村】「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。・・・良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手をしているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。・・・よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことの方が普通です。・・・遭遇する全ての状況が――古くさい言い回しをすれば――天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。🔳
先日、僧侶である友人が日本共産党の演説会?の応援に立って「雨ニモマケズ」を語ったと聞いた。
そして、中村医師の後を継いだペシャワール会村上会長がこの本の中で、「雨ニモマケズに中村先生の思想を感じる」と述べておられる。村上会長は、「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」に共感すると述べられている。
この本は、私の「大事な本」のひとつになった。
宮澤賢治の「アメニモマケズ」の詩は法華経の常不軽菩薩品第二十というお経の常不軽菩薩をモデルにして書かれているものです。日本共産党もまさしくこの菩薩様のような活動をなさっていると、この詩を演説会での応援メッセージとさせていただきました。中村哲氏もまさしく命を賭してこの菩薩様のような活動を実践されたものです。中村哲氏のご冥福をお祈りするとともに、生きている私たちが中村哲氏のお考えを広める役目をしなければならないのだと思います。
返信削除弁英さん、コメントありがとうございます。宮沢賢治の作品のベースが法華経だとはよく評論されていますね。クリスチャンである中村哲さんがその宮沢賢治の作品を好まれていたということから、宗教の大本での一致点に私は共鳴します。宗派という狭い違いに拘泥せず、それこそ神を信じる者も信じない者も、キリスト教徒も仏教徒も、もちろんイスラム教徒も、「プーチンは戦争を止めよ」で大きな一致をして行動を高めてほしいものです。
返信削除