2022年5月19日木曜日

   「ラジオで”首相と総理大臣の違い”を語っていたがよく解らなかった」と妻が言ってきたので、「”大臣”というのは君主の僕(しもべ)の意味が強いから、共和制の国も含めて国際的には各”相”のトップという”首相”が使われているのでないか」と答えたが、よく考えると”相”自身が”大臣”の意味だから的外れではないが正解でもないようだ。

 ”相”という字には「助ける」という意味があるということは、以前に半藤一利氏の『歴史と人生』(初出『歴史のくずかご』)を紹介した記事で書いたが、やはり”相”は”大臣”だから、私流の理屈を通せばアメリカ流の”長官”あたりが国際的なスタンダードかもしれない。
 ちなみに”総理大臣”は日本国憲法に書いてある文字で、いわば固有名詞のようなものであろう。

 ”相”について搔い摘んでみると、
 三省堂の大明解漢和辞典では、大臣だとか助ける、補佐役等の説明はあるが字源の言及はなく、
 新潮社の日本語漢字辞典では、「解字」をあげて、木+目として、見ることによって呪的な交渉に入ることから互いに助ける意となる。一説に、木に上ってみればよく見える意を表す。とある。

   そして、平凡社の白川静常用字解では、盛んに生い茂った木の姿を見ることは樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味となる。助けるというのは樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから「たがいにする。たがいに。あい」の意味となる。また「すがた。かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられたのである。中略、万葉集にも「見れど飽かぬ」「見れど飽かぬかも」「~見ゆ」という形式の歌が多いがみな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想うことを想という。

 ということで、青葉盛んな今、私はできる限り樹木を眺めるようにしている。
 楝の花が咲き始めた。

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