2020年12月4日金曜日

請われれば

 亡義父は、昔、家を建てるに際して住宅メーカーといろいろヤリトリした折、心の内々には本命であったメーカーの担当者が約束の時間に数十分遅れたということでそのメーカーを文句なく排除した。約束を守らない人間とヤリトリしても信用ならんということである。考えれば当然である。

 公務でも商売でも、指定された期限を守らなかった場合は追徴金や延滞金の対象になるし、機械処理が指定期限内にできないと1週間単位あるいは1か月単位ぐらいで処理が遅れることがいっぱいある。そんな常識的なケジメを民主運動の中でも心したいと私は思っている。

 また何回か書いたことがあるが、鷲田清一氏の文らしいが「請われれば一差し舞え」という言葉がある。「一差し舞う」のは楽ではない。例えば原稿を頼まれても頭の中がまとまらない場合、ほんとうに夢の中でああでもないこうでもないと悩んで眠れないことがママある。そんなことを言うと信用しないかもしれないが、ほんとうに眠れないような状況から絞り出して書いたりしている。市民社会では当然の、そういう責任感も高齢者だからと甘えないで向き合いたいが、はて、いつまでもつだろうか。

 結果や出来栄えは別である。そんなことはどうでもいい。ほんとうに結果はどうでもいい。

 そんなことを言うと、きっと私の方が変人で包容力の欠如と言われるに違いない。でも、「請われて」行き詰ったら最後には裸踊りでも舞ってやる覚悟でいる。70年以上人間をやってきたならそれぐらいの根性はついてくる。やっぱりエキセントリックですかね。

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