2020年12月26日土曜日

古代仏教遺跡

   飛鳥時代という時代区分がある。広くとれば西暦592年から710年(平城京遷都)までの頃である。古墳時代が終わって寺院が誕生した時代。聖徳太子などの時代という風にイメージしていただくと凡そ間違いない。

 日本書紀によると崇峻元年(588)是歳条に飛鳥寺の建立が始まっている。そして596年に創立された飛鳥寺は710年の平城遷都に伴い現在の「なら町」に移り元興寺になった。元興寺の屋根裏に保管されていた建築部材は年輪測定の結果6世紀末に伐採されていて、飛鳥寺の移転説を強く補強している。さらに、明日寺出土の瓦と同じ瓦が、現在も元興寺の屋根の一部に葺かれている。奈良の街には古代が今もある。

 そんな、身近なようで身近でない古代の仏教遺跡を考古学の証拠を並べながら造営氏族を追い、結果として学会の定説の一部には「それは違う」と提起しているのがこの本である。

 例えば、明日香村小山の小字「キテラ」に寺の跡があり定説では小字名から紀氏の氏寺の紀寺とされている。そして紀寺の造営は続日本紀の記事から追いかけると670年(天智9)に建立されていたことが解る。ところがこの『紀寺跡』は藤原京の左京八条二坊に藤原京の条坊に沿って発掘されており、であれば、藤原京の造営計画が決まったとされる676年(天武5)以前に遡るのはおかしい。著者は、皇后のウノノヒメミコ(後の持統)の重病のために天武が本薬師寺を建てたが、その直後に天武自身が病に倒れたため、本薬師寺と東西対象の地に藤原不比等が建てた寺院であると、他の瓦の文様その他からそう指摘するのである。これは学会の定説に異議を申し立てる大胆な学説である。(検証の内容はここに紹介したような簡単なものでなく多角的で緻密なものである)

 こういう大胆な異議申し立てを数々の考古学的証拠をあげて証明しているこの本は、推理小説以上に刺激的である。

 考古学と文献史学を重ねながら古代の実像に迫るこういう本は、古代史だけでなく世の中のいろんな分野、いろんな課題を考える上でも参考になる。小笠原好彦著・吉川弘文館『検証 奈良の古代仏教遺跡』。

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