2020年12月5日土曜日

隠岐さや香氏のパリ・レポート

12月1日の毎日新聞電子版に、「フランスのブルボン王朝の出来事かと思うほど、前近代的なことが起きた」。学術会議の連携会員で、パリの科学史を研究してきた隠岐さや香・名古屋大大学院教授はこう表現する。5年前、学術会議のあり方を考える有識者会議の委員を務めた隠岐さんには、政府の今回の対応が「学術界に対するモラハラ」に見えるという。・・という記事があり、隠岐さや香氏のことを初めて知ったのだが、まるで吸い寄せられるようにその翌日、公益財団法人国際高等研究所の『SDGとコロナパンデミックの時代における科学技術のあり方考える』(2020年10月)という報告書の中に、『社会的合理性のための自然科学と人文社会科学の連携?—「誰一人取り残さない」ためには―』という隠岐さや香氏の論文を見つけた。

全体に非常に参考になったが、その紹介をするには紙面が足らないので、特に刺激的に感じたパリ・レポートの部分を、それも相当摘んで紹介する。要約は私の独断と偏見であるので、以下の記事はそういうつもりで読んでもらいたい。

 ■ 2020年3月、筆者は研究調査のためパリにいた。‥現地に到着した当初、まだ日本の方が新型コロナ感染症の影響は強いようなイメージを持っていた。だが、徐々に状況が変わり、まずイタリアで都市封鎖(ロックダウン)という遥か昔からあった疫病対策の手法が導入され、始まった。そして程なく、それはフランスにもやってきた。

 大統領や閣僚のテレビ演説に皆が聞き入り、翌日から一気に街の風景が変わっていく様子は、非現実的な夢を見ているようだった。その状況は、17世紀の哲学者、ゴットフリート・ライプニッツがペスト対策のために書いた文章の内容と、おおよそのところ変わらないようにすら見えた。

 ‥ロックダウンが施行された時、‥驚いたのは、それまで黄色ベスト運動を含め、違法行為も含む激しい抗議活動を生んだフランスの人々が、少なくとも当初は、まるで予め訓練されていたかのように日常から非常時への切り替わりを察知し、それまでの自由奔放さからは想像出来ない従順さで命令に従ったことである。

 ‥政治思想史をひもとけば、民主主義と緊急事態における国の権力行使は両立するとの議論は古くからあった。‥それは親が子どもに制限を加える比喩で説明される。子どもの精神は未熟で自分にとって害となる行動をとるかもしれないため、親はそのような害から子を守るために子の行動に制限を加えることができる。

 ‥このような思想的前提を知ってか知らずか、欧州全体を大まかに観察する限り、緑の党やフェミニスト的な左派はロックダウンを受け入れるムードであり、経済自由主義的な右派はそれを「自由の侵害」と捉える傾向が目立った。この反応はジョン・ロック的な前提に整合的である。何故なら、上記のような左派は基本的に‥未知のウイルスを通じて自分が他人を、あるいは他人が自分に害をなさざるをえない状況を避けるために、己の自由への制限を受け入れたのである。

 ‥対して、経済自由主義的右派は、どちらかといえば弱肉強食の市場競争のための「自由」に肯定的で、経済活動全般に対する規制には否定的な傾向がある。■(引用おわり)

 昨今の日本の状況と照らし合わせてみてもなんとなく納得できる分析だと思われる。だからといって「日本国憲法に非常事態条項を加える案」は現実的には非常に危険ではないだろうか。

 大昔のことになるが労働行政研究活動の中で、社会政策(どちらかといえば経済学?)の田沼肇先生が労働法の先生方に、運動の提起がないまま「法律改正の政策要求」に上滑りになることを指摘されていたが、その観点は重要だと思う。国民民主党の改憲議論は全くその通りではないだろうか。

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