2020年12月28日月曜日

歳末の短詩あれこれ

   12月26日土曜日朝5時からのMBSラジオ『しあわせの五七五』という川柳の番組で、「真新しい手帳にまずは通院日」(作者は聞き逃した)には笑ったというか、そやそや!という同感。先日の私もそうだった。

 27日の朝日俳壇、「皇帝ダリア咲けば喪中の葉書来る(高萩市)小林紀彦」も、寂しいことだが、そやそや!

 同朝日歌壇、「コロナ禍で都会のまごこ帰省せず九十五歳がコンバインに乗る(安芸高田市)菊山正吏」は、私は農家ではないが情景はよく判る。そして、悲しいが可笑しい。

 もっと悲しいけれど、わかるわかる!というのは、「五ケ月は施設の母の記憶から私を消すに充分の時(伊万里市)大宅朋子」。義母は昨秋に亡くなった。そして今春から元入居していた施設は面会禁止になり、妻は「(逝ったのが)去年でよかった」と繰り返した。今年逝かれた人の晩年はどれほど辛かっただろうか。

 で私の一句、「山茶花や今年も白し空き屋敷」。私がこの地に引っ越してきた折に、庭の花々などを見ながらよく語り合った3~4人の先輩方はだいぶ以前からもうお見受けしない。こういう新興住宅街では、特に私の場合は隣の自治体の方々と交流していたので、お見受けしなくなったその理由はわからない。きっと、どこかに入居されたのだろう。それとも・・。

 駄句を捻った別の隣人のお宅では、元気でいらした方のご伴侶が亡くなり、ご夫君も程なくしてどこかに入居されたのだろうか家屋は空き家になってそのままである。別に荒れ果てた空き家ではないが、久しく人気のないままの塀越しに今冬も白い山茶花が美しい。それを見ているといろんな会話をしていた場面が思い出される。

0 件のコメント:

コメントを投稿