2020年12月13日日曜日

人生意気に感じる

   梅棹忠夫氏の言葉の伝聞の伝聞の伝聞みたいに「人間、ええ歳になったなら、請われれば一差し舞える人物になれ」という趣旨の記事を以前に書いたが、先日、OB会の会報新年号の原稿依頼文書にその言葉を引用して、「一差しをお願いします」と入れた。

 嬉しいことに、「一差し舞ってみました」という添え書きの原稿が届いたり、明らかに「一差し舞ってくれた」原稿が届いた。当方のお願いの言葉(心)を正面から受け止めてくれたのだ。漢(おとこ)であり漢女(おとめ)である。

 「人生意気に感じる」という言葉もあるが、歳をとると言いたくなる理屈や経験談よりも、意気に感じる感性を忘れないことが大切ではないだろうか。

 コロナ下で巣籠を続けていると共感力や感性が鈍ってくる気がするが、パソコンに飛び込んでくる原稿に日々心が洗われている。

 毎日「誰かから届いていないか」とワクワクしてパソコンを開いている。「おおきに、おおきに」と嬉しい日もあるし、締め切り期日近いのに反応が見えない友人に少し萎えたりしている。

 私は子供たちに、「参加者よりも主催者になる方が楽しい」と教えてきたが、小さな会報の編集作業だがそんな気がする。

2 件のコメント:

  1. 私の属する退職者の会から新年号の会報の原稿依頼がありましたので「一差し舞ました」一昨日突然入会している抹茶を作る会から一差し舞を乞われましたので二差し目を舞ました。

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  2.  スノウさんの教養の広さと深さに心服しております。
     昨今の政治状況は、怒ることさえバカバカしくなるほどの腐敗の体ですが、怒ってばかりでは「人が人でなくなり」ます。請われれば一差し舞える気持ちだけは忘れないようにしたいものです。

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