11月30日の『古墳の終末』の記事の補足をする。
7世紀後半より前の古墳は前方後円墳など外形上はいわゆる天皇陵と豪族の墓とに違いはなかったが、645年の乙巳の変(蘇我入鹿暗殺といわゆる大化の改新)以降、天皇の権力が強まり、片や大陸の文化が全面的に導入され、いくつかの八角墳が築造された。一般にそれらは天皇あるいは高位の皇族の陵といわれている。八角墳の築造は豪族には許可されなかったと考えられている。
では何故八角形なのか。福永光司氏の『道教と日本文化』によると、「中国では、文献の上では紀元前2世紀頃から、天上の神(上帝)の祭祀儀礼と、それを形而上的に原理化した中国古代の自然哲学、天文暦学、天候気象学、医学の根底に八角形の宗教哲学もしくは宇宙論があった」として、多くの史料をあげられている。そして、「古代中国で天の祭りを行う場合には、八角形の壇の上でなされていた」と示されている。
氏は、主として『礼記』『淮南子』及び漢魏晋の初期道教経典からその哲学を別掲のように図式化されているが、五行説、十干十二支とともに、内側から4番目の「八卦」、7番目の「八節」(二十四節気)と「八風」、8番目の「八方」の思想がそれを表していると述べられている。
特に「八方」の、東西南北に、東南、東北、西南、西北を加えた「八通」が地上全世界を表しているというのも、季節の基本が立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至の「八節」というのも素直に理解できるし、『易経』については私は浅学にして知らないが「八卦」という言葉は現代も残っている。
毎朝のテレビや新聞に「星占い」がある国の住人がこれを「古臭い観念論」と嘲うことなかれ。
八角墳からは、必死になって大陸の文化に追いつこうと大汗をかいた島国の大王たちの声が聞こえてこないか。
「今年は神武天皇が肇国(ちょうこく)されてより2680年、日本は国家として世界で最も長い歴史を有している」などと真顔で説く神社本庁関係の論者にすれば、天皇が中国の思想を学んで祭祀を行ったなどという事実は到底受け入れられないから、道教と照らし合わせる歴史は正当に評価されておらないように思う。しかし、地球は廻っている。
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