2020年12月15日火曜日

事始め

   13日は『事始め』でお正月の準備を始める日と言われている。そんなもので、まず掛け軸を正月用に掛け替え、年賀状の通信面の印刷を行い、個人的に恒例としている箸紙(祝箸の箸袋を関西では箸紙という)の製作を行った。

 これは関西(上方(かみがた))では元来、下から箸を入れる形であったが、最近は何もかもが東京風になって上から箸を入れる形のものしか売っていないので自作するのを恒例としている。また自作だと、単なる「寿」の外にいろんなバリエーションを創作できるのも楽しい。 

 「最近は」と書いたが、大正の終わりから昭和の初めころの大阪の食生活を記録した、農文協「日本の食生活全集㉗」『大阪の食事』の再現写真(1989~1990)では「上から入れる箸紙」も写っているから、30年程前(1989~1990)から「上から入れる箸紙」が相当進出して来ているような気がする。

 箸紙の氏名を書く欄のことだが、ほとんどの本によると、お節料理の取り箸・共用箸について「東京では海山(うみやま)と書き、関西では組重(くみじゅう)と書く」と書かれているが、わが家ではそう(組重)ではなかった。私見だが「組重」は京都のならわしではないだろうか。ただ手に入れた古本の「年中事物考」には、明治大正の東京で、お重そのもののことを「組重(くみつけ)」というように読める箇所もある。それ以上のことは解らない。

 さて、何故今まで開かなかったのだろうと反省しつつ、愛用している牧村史陽編「大阪ことば事典」を紐解いたところナント!そこでは「海山」とあった。このかぎりでは、大阪のそれは京都よりも東京と共通していたように読める。少なくとも「関西では組重」説は「大阪ことば事典」とは一致していない。私は「大阪ことば事典」を重く見たい。

 さて今年の創作箸紙だが、普通一般に「寿」であるところに「春信(しゅんしん)」と書いてみた。春の便りである。そして万葉集の「石走る垂水(たるみ)の上のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも」の一首と早蕨(さわらび)の写真を添えてみた。早く「外出自粛」など気にせず春の空気を胸いっぱい吸い込みたいものである。そんな願いを込めて・・。

 パンデミックの恐怖と拝金主義者による政治の無策の下で、如何にも無駄の塊のような一日であったが、はしょって言えば文化などというものはそういうものではないだろうか。「他者との共存」の時代と言われるが、自画像が判らなくては対話にもならない。芭蕉の「笈の小文」の一節を意訳すれば、「移り変わる自然の変化に自らを委ねるとき、見えるものすべてが花となり、思い浮かべるものすべてが月になる。そうしてはじめて人は人でありうる」。年中行事は無駄ではあろうが日本列島人の自画像・文化なのではないだろうか。

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