私は、昨今の嫌韓ヘイトスピーチが非常に気になっている。
半藤一利氏の本に「熱狂は一番危険だ」という警句があったが、ヘイトスピーチは、この国が一番踏んではいけない轍を踏んでいるように思うからである。
多くのその種のヘイトスピーチが、実は組織されたアルバイト等によってなされているのではないか、その思考が極めて反知性的ではないかということは昨日書いた。
そんなこともあり、このブログ記事を書く以上は、と、もう一度朝鮮の近現代史をいろいろと読み返した。
家永三郎編『日本の歴史』は大判10巻で、現代に近づくほど紙数が多いという優れものだったし、そのほかにも・・・・、
ただ、意外だったのは、日本史側でも、世界史側でも、書くことが多いせいか、その時代の朝鮮の歴史は私には少し物足りなかった。
で結局、人には笑われるかもしれないが、岡百合子著『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』(平凡社ライブラリー)を読み返したのが一番自分としては良かった。
この本は、私的には、実は近現代史ではなく、百済、新羅、高句麗の時代をトータルに理解したいがために購入したものだったが。
さて、朝鮮の近現代史の、その膨大な内容をここに記すことはできないから、興味のあるお方はお買い求め願いたい。
ところで考えてみると、近代の西欧列強の侵略はえげつない。それは間違いない。
そして当時の日本を含むアジアの国々がその時に正しくどう対応できただろうかと考えると気が重い。
長い歴史のスパンでいえば、それら西欧列強の罪状ももっと明らかにしていく必要はまだまだ残っている。
だが話はその先だ、右翼の人々はそれが故に、その時代に明治政府等が行った侵略行為等も全て仕方がなかった、否、良かったといい、厚顔の者は侵略先で近代化と生活向上に力を尽くして喜ばれているなどと言っている。
ヘイトスピーチの根底にはそういう認識(マニュアル?)が横たわっている。
しかしその正解はいみじくもインドの故ネルー首相が次のように喝破されている。この一文で十分だろう。
監獄で叙述したという、ネルー著(大山聰訳)『父が子に語る世界歴史』第3巻の118章の冒頭部分(日露戦争)から・・
■ 日本のロシアに対する勝利がどれほどアジアの諸国民を喜ばせ、小躍りさせたかということを我々は見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう1国を付け加えたというに過ぎなかった。
その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は朝鮮の没落を意味した。
(中略)日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。日本はヴェールで偽る用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。
1894年、中国戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押し入って、日本の要求を聞き入れなかった女王(閔氏)を廃して、幽閉した。
日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、無理強いに朝鮮の独立の放棄を認めさせられ、日本の宗主権を受け入れた。しかしこれでも足らず、5年もたたぬうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に合併された。これは1910年のことだった。
3000年以上にわたる長い歴史を持つ独立国としての朝鮮は滅びた。(以下略)■
ゲーム感覚の戦記物ではない、冷静な近代史を大いに語らないと、事実としての歴史が否定されたり歴史が修正されていく。
この分野はあまり好きでもなく勉強不足であったのを大いに反省している。
史書並みの貝になりたい名作あり
「私は貝になりたい」。悲惨だ、不条理だ。それ以上の悲惨と不条理が戦争の向こうにあった。そこに想像の及ばない人がいる。
朝鮮マヌケだな。
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