『吾輩は猫である』のなかで漱石は、「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と語っている。
そんなもので、歴史家ではないが大阪で起こった歴史的小事件について書いておきたい。
大阪の平和展示施設「ピースおおさか」のことである。
奉安殿 |
ピースおおさかは、大阪府と大阪市が出資する財団が大阪城公園で運営する平和展示施設で、大阪大空襲の展示などのほか、旧日本軍の加害行為とされる内容も展示していた。
しかし大阪市長が橋下徹氏、大阪府知事が松井一郎氏と、大阪維新の会の2人に変わった後、展示が「自虐的だ」などとして見直しの作業が進められた。
この見直しの過程で、設置理念が骨抜きにされると懸念する市民らが、関連する公文書の情報公開を請求したが、「リニューアルに向けた業務に支障をきたす」などの理由で公開を拒否され、異議を申し立てたが、本来諮られるはずの審査会も開かれないままリニューアルされた。
モニュメント |
この情報公開拒否の不当性を訴えた裁判の判決では、高裁では松井知事吉村市長が、そして2019年5月24日最高裁で松井市長吉村知事が敗訴して確定した。
橋下、松井、吉村各氏のとった不当性が天下に明らかになったのである。
さはさりながら、展示はリニューアルされたままである。
先日、入館して閲覧したが、ほんとうに骨抜きにされている。
こんな戦争があった、あんな戦争があった、アメリカの兵器はすごかった、大阪は焼け野原になった、・・・これでいいのだろうか。
愛知では表現の不自由展が中止させられた、東京都知事は関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するかのようにふるまった。そして大阪の平和展示施設がこうである。
「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と述べた漱石先生の言葉をもう一度噛み締めるべき刻だろう。
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