ネットにあった1951年の画像の1枚 |
自民党は、低年金高齢者に30,000円をばら撒いて、生活防衛に必死になっている庶民に経済浮揚の幻想を訴え、公明党は「憲法は争点ではない」と異常なほどに言い訳し、汚い金で辞任した候補者を担いだお維はあいも変わらず「身を斬る改革」をひとつ憶えのように繰り返す。
ところが、そんな低レベルの争点隠しが堂々とまかり通っているのが、今日のジャーナリズムというかマスコミの危険な現状で、その影響力は絶大であることを直視する必要があり、しばしば聞くのだが、「私たち国民はそんなにアホではない」ときれいごとを言って看過しておくことはできない。
一見、非常に確信的にみえるそういう断定は結果として思考停止を生む。
テレビコマーシャルを見るともなく見ていると、ビューティフルサンデーの軽快な歌が流れてきて、過ぎ去った時代時代の写真が1951年まで順にアルバムとして遡る。
私などはその郷愁にうっとりとする。もっと言えば心臓をわしづかみにされるような気もする。
ところがこのCM、非常に不真面目に原発再開をすすめる関西電力のコマーシャルなのである。
宣伝の技術というものは怖ろしいものである。
私たちはそういう時代に生きている。
ならば、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」と繰り返し述べていた井上ひさし氏の言葉を反芻し、庶民が自分の言葉で語る必要がある。
SNSを持っている方は更新し、お持ちでない方は他の人のコメント欄を活用し、一歩足を出したら面白くなる。
「そんなことの効果はどれくらいあるの」などと言う前に、面白そうなことをしてみようと私は思う。
あのテレビCMを聞いて、私同様懐かしさと空恐ろしさを感じた方からコメントをいただけるかと期待したが・・・・・。
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