三浦しをん著「神去なあなあ日常」のことは2014年5月21日に書いた。
その続編がこの「神去なあなあ夜話」で、文庫本になるのを待っていた。
他愛もないといえば他愛もない青春小説である。
刺激的なサスペンスや、それ以上にえげつない芸能人の私生活をあばくテレビ番組が目白押しの今日、こんな他愛もない小説を楽しんでいる私は世間からズレているのだろうか。
そもそも小説の主人公が横浜からドロップアウトのように(正確には放りだされて)限界集落にやってきて林業に従事している(神去なあなあ日常)。この設定がズレているといえばズレているが、そんなことはどうでもよい。
それが「神去なあなあ夜話」でようやく村にもなじみ、幾つかの村の夜話を教えてくれている。
その中身は本を読んでもらうとして・・・。
少し民俗学の本を読んでいるような気分になる。
なによりも、『なにごともなく百年後が来るなんて、よく考えたらなんの保証もない』、でも『この村のひとたちは、百年後を見据えて山に木を植えつづけ、先祖が植えた木を切りつづけ』ている。
今日植えたこの木を切るのは親方の息子である小学生の山太(名前)の子どもか孫だろう。
この時間の単位がいい。
地球の歴史、人類の歴史からいえば瞬きのような単位で原発やなんかが「安全だ」「想定外だった」というような現代社会の歪んだスピード感を少しだけ是正してくれる小説だと思う。
そして自然に対して謙虚になれる。
生きている樹を伐採するとき、先輩の方々がお酒をふり掛けてからチェンソーを入れるのを、「現代でもそんなことをするんだ!」と少し違和感をもって見ていたことがあるが、一つ間違えば命にかかわる世界では当たり前のことなのだろう。
そんな精神の大切さを思い起こさせてくれる本である。
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