2016年6月14日火曜日

千に一つも仇はない

   「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」は、今はいない義父の口癖だった。
 時代の急速な変化の中で、自分の育った世界や価値観と大きく異なる子どもたち(私など)に対するまどろっこしさが口癖になったのだろう。
 「親孝行したいときには・・」ではないが、もっといろいろ話を聴いておけばよかったと、後で気が付く何とやらである。
 戦時中の話、軍隊生活の話、・・・そんな過去を振り返って貰っても生産的でないと、前ばっかり向いてきたような気がするが、私より若い為政者が「美しい日本」などと呼ばわるのを聞くと、何と惜しいことをしてきたものかと悲しくなる。
 
 さて、六車由実著『驚きの介護民俗学』という本がある。
 テーマは介護現場での「回想法ではない聴き取り」である。
 決して、コンセプトは昭和史でも社会問題でもないが、その中に、大正8年生まれの入所者の語った体験談が書いてあった。

 ジャワ島でのことだ。戻ったら捕虜が何人も後ろ手に縛られていた。上官は、やつらの背中を銃剣で突けと命令した。ワラ人形相手に何度も練習してきたが、誰も突くことができなかった。上官はそれじゃあ機関銃で撃てと命令した。一斉に撃った。次の瞬間捕虜たちがバタバタと膝が折れて倒れた。今でもその姿が目に焼きついている。

 先日のこのブログの記事で「真実は細部に宿る」というようなことを書いたが、ここには教科書にない真実がある。
 私たちの世代の多くは、そういう真実を心に留めないまま親を亡くしている。
 親が健在の方々は、この轍を踏まないように願いたい。

   さてさて(☚黒柳徹子のモノマネ)茄子の栽培だがこれがけっこう難しい。
 狭い庭に詰めて植えるものだから、お互いに傷をつけあって皮が固くなったりする。
 また、水茄子は泉州以外の地ではなかなかあのようにみずみずしくはならない。
 それでも、無農薬茄子は気分がいい。
 
 ふたつ目の写真は、私の好きな「黒イボ白胡瓜」。
 少し大きめに育てると中に水と種ができる。
 スーパーには絶対置かれない「欠陥品」なのだろうが、私はそういう白胡瓜が大好きだ。
 夏野菜の季節が始まった。

2 件のコメント:

  1.  ナスは肥料が十分でないと美味しく育ちません。ほうれん草は石灰分が足りないと美味しく育ちません。私はこれ位しか知らずに家庭菜園をしていますが、長谷やんも言われるとおり、私の小さな畑は野菜の葉で一杯になっています。ナス、キュウリ、ピーマン、パプリカ、ジャガイモ、ニンジン、ホウレンソウ、ミズナ、ブロッコリー、カボチャ、等を作っています。雑草も野菜の葉に負けないほど育っています。ウルル旅行から帰ってきたら、カボチャの葉が道(公道)にまではみ出て、近所の人に迷惑をお掛けしていました。
     ウルル、カタ・ジュタの旅行は天気にも恵まれて最高でした。特に満天の星空、ウルルのサンセット、サンライズ、風の谷のナウシカで有名なカタ・ジュタ、思い出に残る旅行になりました。現地の人は確かに私に似ていました。

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  2.  バラやんの規模は「家庭菜園」とは言いません。
     といって、私も狭い土地に重層的に植えています。胡瓜は上方に、その下には万願寺、紫蘇、ルッコラといった様子です。
     ウルル旅行、「最高でした」とはよかったですね。その感想などコメント欄でお願いします。

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