街から離れていよいよ山道、ハイキングコースに入ったなと私が感じるのは、靴が蹴とばしたドクダミから漂うあの独特の臭いを感じた時だと思う。
(世間に倣って「臭気」と呼ぶが)あの臭気は、空気の汚れた都会から清潔な自然界に入った証のように私は感じる。嫌いでない。
一般に臭いと言われてドクダミという名で毛嫌いされている草だが、語感ではなくその由来を検討すると、一説には「毒矯め・毒痛め」で解毒や痛み止めの意ともいわれている。
別の名は十薬(じゅうやく)、こうなれば薬草の王者の風格さえある。
これほど評価の幅の大きな草も少なくない。
そして写真のとおり、この時期のドクダミの花も結構清楚で美しいのだが、気安く庭に植えたら際限なく広がるのでたまらないと言えばたまらない。
そういう意味で雑草といえば雑草だ。
種類は微妙に違うのかもしれないが、ベトナムでは立派な香草としてサラダのように食べられるらしい。ただし私は未体験である。
その昔、庭のドクダミとユキノシタを天ぷらにしたことがある。これはほんとうに美味しかった。
というか、野趣がとんでしまって愛想がないくらい「普通の料理」だった。
つい最近知ったのだが、どくだみは清楚な花ぞ名を変えよ 市田志ん という句が心に響いた。
それが市田共産党副委員長のお母様の句だというのでさらに驚いた。
追伸
昨日は五月尽、ほとゝぎす平安城を筋違(すじかい)に 蕪村 の句そっくりに、ほとゝぎすが鳴きながら私の頭の上を筋違に飛んでいった。
ただそれだけで気分がよくなった。
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