2016年6月16日木曜日

皮膚感覚

 正直にいえば、自分で言うのもなんだが、私は結構ロジカルな男だと思う。
 なので社会で起っている出来事を情緒的に語るのは基本的に好きではない。
 だが、顔色ひとつ変えずに嘘を重ねる権力者を目の当たりにすると、彼らの土俵に乗って一つひとつ批判することも大切だが、「この男のいうことは胡散臭い」という皮膚感覚を広めることも大事ではないかと反省している。

   先日、安田真紀子氏の講義を聴いていて「なるほど」とガッテンしたことがある。
 〽ちはやふる神代もきかす龍田川からくれなゐに水くゝるとは  〽嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり  ・・の龍田川のことで、私は昔から龍田あたりの龍田川や三室あたりの龍田川を見ていて、正直「この程度のものなの?」と、どうしても納得し難い皮膚感覚を抱いていた(だからといって勉強しないのが欠点だが)。

 先生は、天保9年(1838)の安田相郎の「大和巡日記」に「此際に楓樹の並木有。是後に植たるものと見ゆ」とあるのを講義してくれた(天保の旅行者は「ここのもみぢは後で植えたもののようだ」と言っているのだ)。
 そして、「今の龍田川は古今集の時代には平群(へぐり)川と呼ばれていて、少し下流の大和川本流との合流地点から「亀の瀬」あたりまでの大和川が龍田川と呼ばれていたらしい」と教示してくれた。
 判る判る!平安のそのあたりを想像しろと言われれば私には皮膚感覚で納得できる。

 と、ここで言いたいことは、「何かおかしい」という皮膚感覚を研ぎ澄ますことも大事ではないかということで(私は「何かおかしい」で止まっていたが)、そのことが真実を射抜く力になったりすることもありはしないかということだ。

 安倍といい、橋下といい、顔色を変えずに嘘をつく。
 「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」とも言う。
 その一つ一つの検証や論争に逃げる気はないが、「この話(人間)は信用できぬ」という皮膚感覚も結構大事なような気がする。
 なお、それは男に限らない。自民やお維の女性候補者にはトンデモ候補者も少なくない。

0 件のコメント:

コメントを投稿