2017年11月20日月曜日

酒器

   高級品ではないが気に入った酒器を手に入れた。
 写真の左の土瓶である。

 以前に書いた東大寺福祉療育病院のバザーに善意の陶芸家が提供してくれたもので、私が以前から持っていた少し大きい右の酒杯と釣り合っているように思う。

 冷酒で飲むなら瓶から直接注いでもいいというものだろうが、やはり気に入った酒器を通すと同じ酒も旨くなる。

 遠い昔だが、ブログ友達のスノウさんに「料理に器なんか関係ない」と言って顰蹙を買った。
 別のブログ友達のひげ親父さんも器フェチに見える。
 彼らには遠く及ばないし、なにしろ貧乏年金生活者だから贅沢はできないが、これぐらいは妻に許して貰おう。

 和辻哲郎に対する亀井勝一郎の批判にこんなのがあった。「和辻は仏像を美の対象として見るのみで信仰の対象として一顧だにしていない」というものであった。
 その伝でいけば、酒器は戸棚に飾られてナンボのものでなく、実際に使われてこそのものだろう。

 そういうことで、久しぶりに老夫婦で杯をやりとりした。
 「純米 原酒 豊祝」は奈良の酒である。
 
    寒波きて酒器引っ張り出す夜長かな

2017年11月19日日曜日

直径110mの円墳

   写真は11月16日付け朝日新聞だが、富雄丸山古墳が日本一大きな円墳であることが解ったという記事である。
 場所は35年ほど前に住んでいた富雄という地の近くであり、その近くを自動車で行き来していたこともあるが、この古墳のことは全く知らなかった。
 私が趣味で古墳など古代史に興味を持ったのはズーッと後のことだ。

 それにしても、奈良市埋蔵文化財調査センターが4世紀後半(古墳時代前期)と推定し、三次元計測で、直径110m、張り出しを含めると全長120mの円墳というと、そもそも最古級で隔絶した大きさの前方後円墳としてまた卑弥呼の墓ではないかという意味でも有名な箸墓古墳の後円部の直径が約150m、時期が一致する4世紀後半の天皇陵古墳と認められている、奈良市尼ヶ辻の宝来山古墳(伝垂仁天皇陵)の後円部の直径が123mであるから、なかなかの有力豪族の墓であることは間違いない。

 4世紀は中国大陸が分裂時代であったため、3世紀の邪馬台国、5世紀の倭の五王時代と比べて「謎の4世紀」といわれているが、太和4年(369年)銘の石上神宮七支刀もあり、神功皇后の百済侵略などある種激動の時代であったといわれている。
 富雄丸山の被葬者とその後裔の豪族がいったい誰なのか。ゆっくり楽しく検討していきたい。
 西の矢田丘陵を超えると平群(へぐり)氏の地となる。
 奈良市埋蔵文化財調査センターが来年度から発掘調査を始めるらしい。

2017年11月18日土曜日

紋付鳥

♀(雀と姉妹?)
   この小鳥は、私としては冬鳥の代表だと思う。
 寒風の向こうから ヒーヒーヒー カチカチカチ と聞こえてくると如何にもと晩秋を感じる。
 鳴いているときには尾っぽと頭を上下させる。

 尉鶲(ジョウビタキ)の別名には、火焚鳥(ひたきどり)、紋鶲(もんびたき)、団子背負い(だんごしょい)、馬鹿っちょというのがある。
 そもそも鶲(ひたき)とはその鳴き声の一部であるカチカチカチが火打石で火を焚く際の音に由来しているから火焚鳥には何の疑問もない。
 紋鶲の紋は背中の白い模様が紋付の紋で文句ない。
 団子はこの白い模様を「団子を背負っている」と見たのだろう。
 よく判らないのは馬鹿っちょだが、結構人懐っこく逃げないから馬鹿者だと書いてある文章があった。
 ただ、引っ付き虫であるオナモミを馬鹿っちょというという方言もあったから、背中に引っ付き虫が二つ引っ付いていると見たのかもしれない。

 Pet Pediaで知ったところ瀬戸内地方の昔話に次のようなものがあった。そこでは紋鶲ではなく紋付鳥(モンツキドリ)と呼ばれていた。

 昔、スズメとモンツキドリは姉妹だった。 
 ある日、母親が重病を患ったと知らせがあった。
 この時、スズメはお歯黒(歯を黒く染める化粧)を塗っていたが、知らせを聞くとすぐさま中断し母の元に向かい、そのためスズメは無事、母を看取ることができた。
 スズメの口元が黒いのはこのときのお歯黒の痕である。

 一方のモンツキドリは、知らせを聞くと、化粧をしたり紋付きを着たりと、身支度に時間を費やしたあと母の元へ向かったので、身支度に時間をかけすぎたモンツキドリは母の死に目に合うことができなかった。
 なので、モンツキドリに激怒した父親は勘当を言い渡し、勘当されたモンツキドリは、今でも頭を下げて父親に謝り続けている。

 いやはや、先人の想像力には舌を巻く。

    寒風に居住まいただすや紋鶲

2017年11月17日金曜日

バッタを倒しにアフリカへ

   光文社新書・前野 ウルド 浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』。
 虫好きの私としてはずーっと以前から「読んでやろう」と思っていた本だ。
 ただ正直にいうと表紙の写真がいかにも「いかもの臭」く、「大ハズレ」の可能性もあるかもと半信半疑で、大きな期待はしていなかった。
 まあ、書名からして政治がらみの話ではなさそうだし、だから選挙や政局などとは関係なく少し書店に置いておいても賞味期限は過ぎないだろうと長い間パスしていたが、いよいよ購入した。

   予想外に(私が予想していた程には)サバクトビバッタの生態や対策の記事は少なかったが、ファーブルの聖地、南フランス・モンペリエでの感激ぶりなどは楽しかった。
 サバクトビバッタの翅には独特の模様があり、古代エジプト人はその模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれている言うのも新鮮な情報だった。
 さらに山羊の丸煮込みも読んでいて唾が出てきた。
 補足しておけば、圧倒的には、単身、言葉も判らぬままモーリタニアに乗り込んだ研究者の奮戦記でそれはそれで非常に面白かった。

 そして、それこそ私の予想外であったのは、全編を通してのポスドク問題つまり就職浪人や非正規雇用の博士(ドクター)の求職問題(高学歴ワーキングプア)という厳しい現実の悲しい吐露だった。
 そのテーマは決して興味の埒外ではないのだが、まさかこの本の中で熱く語られるとは思ってもみなかった。

 著者は本の最終部分で、京都大学白眉プロジェクト(任期5年、年100万~400万円の研究費)に採用され、その後つくばの国際農林水産業研究センター(JIRCAS・ジルカス)(任期5年、成果を出せば再任→常勤あり)にたどり着くのだが、我がことのようにホッとした。

 それはさておき寄り道だが、一般に朝ドラの立身出世物語は食傷気味だ。そういう意味では特段の出世もしなかった『ひよっこ』は画期的な名作だった。なのに「わろてんか」でまたまた大幅に後退した。BKのこの精神の衰退ぶりは哀しい。寄り道おわり。

 私は既に職業生活をリタイアした年寄りだが、若者のがむしゃらな冒険話には心が踊った。
 そして思ったのは、ポスドク問題ではないが、若者たちに夢を与える施策こそが政治ではないのかということだった。
 国の政治や未来を株式会社の効率の思想で語ってはならないとは内田樹氏の金言だ。
 自民党や維新の政治は亡国の政治でないか。
 株式会社どころではない。お友達の学校には数百億円の補助金、トランプに言われたからとオスプレイ3機342億円、ミサイル迎撃システム(イージス・アショア)2基1600億円、一方に著者のような無収入のポスドク、そして山中伸弥教授が「せめて研究員を常用雇用にしてあげたい」と嘆く国。
 楽しくて後でいろいろ考えさせられる本だった。
 飛蝗(バッタ)の如くも飛翔しなかった私だが、まあ晴耕雨読は楽しい。

    木枯らしに青松虫の屍かな

2017年11月15日水曜日

正倉院の古文書

   11月10日に書いた正倉院展が終わった。
 そこでも書いたが正倉院展は人数が多すぎて古文書をゆっくり読む気分にならなかった。(それが俗人の俗人たる所以だろう)
 さて昨日、小笠原好彦先生から「奈良時代の写経事業と皇后宮職」という講義を受けたので、少し古文書についての素人の感想を書いてみたい。

 一番目の写真は「天平勝宝八歳六月廿一日監物帳」の巻頭と巻末である。
 これを見ると、従二位の藤原仲麻呂、三位永手、四位福信のサインは五位以下とは大きさが全く違う。
 
 私の職業生活の経験からも、だいたい役職によって決裁印の大きさには不文律のようなものがあった。そして、重要書類は印章ではなくサイン(花押)であったから、それもおよそ1300年の歴史だったのかと変に納得した。
 (なお、奈良時代は花押でなく、そのものずばりの署名であった)

   二番目の写真は天皇の決裁である。
 右は天平勝宝9年であるから孝謙天皇の、左のは天平宝字3年で淳仁天皇の決裁で、いずれも「宜(よろし)とサインしている。
 私の経験上は「了」というのはあったが「宜」は知らなかった。
 雲の上ではあったのかもしれないが私は知らない。
 その後、近世や近代の天皇がどういう決裁をしていたのかも興味があるが、ネット検索では出てこない。

 正倉院展に戻るが、写経されたものが展示されていたが皆んな結構足早に読み飛ばしていてもったいない気になった。ただ私の感想を言えば、よく似たものが東大寺ミュージアムで展示されることがあるから、そこでゆっくり読むのがいいように思う。

 東大寺ミュージアムでおかしいのは、お経は基本的に中国語なのだから中国人観光客がよく読んでいるかと言うとそうでもない。
 観光客の興味の問題でもあるが、簡体字で暮らしてきた現代中国人には読み辛いのかもしれないと想像する。
 とすると、台湾人が一番それを読めて、次に日本人、その次に中国大陸の中国人、そして韓国人やベトナム人は余程の学者でないとついていけないかもしれない。

 そういえば私の小学校の教頭先生は「漢字廃止のひらがな派」であった。
 私は文部省の方針で「歴史的に一番漢字を教わらなかった世代」である。
 現代史の本を紐解くと当時の学者は大まじめに「戦時体制の思想と日本語(主に漢文調)の関係」について議論し、「今後はローマ字に統一しよう」とか果ては「国語はフランス語にしよう」と議論していた。
 (漢文調の美文調がものごとの本質を覆い隠し、戦時体制への思想統制に少なくない影響を与えたとの反省から)

   結果としては、私は漢字と日本語を維持してよかったと思う。
 私のような無学なものでも1300年前の文書を何となく読めるのは世界では稀有なことらしい。

 ただ、若い頃にもっとまじめに勉強しておけばよかったという後悔は今さら役に立たない。

    紅葉と鹿とビルと自動車と

2017年11月14日火曜日

核廃絶 バチカンで国際会議

   時事通信によると、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長(74)は11日、核廃絶に関するバチカンでの国際会議で演説し、「核兵器は廃絶しなければならない。製造した人類の責任だ」と訴えた。 
 
 和田さんは1歳の時に長崎で被爆した。母から聞いた話として、爆心地から2.9キロ離れた自宅の窓ガラスや土壁が粉々になり、連日火葬される犠牲者の数と臭いに誰もが無感覚になったと説明。「人間の尊厳とは何か。人はそんな(ひどい)扱いを受けるためにいるのではない」と強調した。7月に核兵器禁止条約が採択されたことにも触れ「核兵器保有国や日本を含む国々に、条約への署名と批准を訴え続けなければならない」と力を込めた。

 国際会議は、ローマ法王庁の主催で10日に2日間の日程で始まり、各国政府や市民団体代表、ノーベル平和賞受賞者らが参加。創価学会インタナショナルの池田博正副会長(64)もスピーチし、「核兵器は安全保障上の観点からも危険であり、倫理・道徳的にも悪だ。誰の手にあることも許されない」と指摘。すべての人がこうした認識を共有する必要性を訴えた。(時事通信記事おわり) 

 この記事を読んで私は、和田さんの訴えに感動し、ローマ法王庁の真摯な姿勢を尊敬するとともに、創価学会のSGI池田副会長のスピーチに少々驚いた。
 このスピーチが創価学会の本心なら、なぜ公明党は、日本政府の核兵器禁止条約への加入を求めないないのだろうという驚きだ。
 もし、海外(バチカン)と国内で主張を使い分ける「二枚舌」なら言語道断だが、池田スピーチが本心ならば、公明党が創価学会の意向に背いていることになる。

 後者なら、真面目な創価学会員は学会方針に背く公明党の選挙に駆り立てられていることと矛盾がある筈だ。
 憲法改悪が政治課題にクローズアップされている現在、創価学会、公明党の良心が注目される。(この意見はFB上の宮本たけし議員の主張を大いに参考にして記述した)

    ときにあらずも笹鳴きどきから鳴き比べ

2017年11月13日月曜日

介護は誰もの行く末

   昨夜は、老人ホーム家族会の大きなイベントを終えてホッとしている。
 ミュージック・ケアという催しで、その名のとおりミュージックでケアするという。
 音楽療法とは若干違うらしいが、私にはあまりその差異は判らない。

 義母は体がしんどいのか〝もひとつ”だったみたいだが、私の知る限り入所者は私の知っているいろんな行事の中で一番ノッテいたように思う。
 やっぱり、鳴子やベルやスカーフなどで終始〝参加している”のがミソではなかったか。
 この間まで体調の良くなかったAさんは歌とは関係なしに鳴子やベルを思いっきり鳴らしていたが、余程楽しかったのだろう。
 よくある行事では、演奏や踊りをお客さんとして鑑賞させてもらうことが少なくないが、それは〝もひとつ”のように思う。
 写真はシャボン玉だが、シャボン玉がかからないよう必死に除ける人も決して怒ってはいなかった。

 終了後ミュージック・ケアの演者の方々と交流したが、デイサービスを縮小して地域の包括的な支援体制への移行ということで、結局は各地で介護が切り捨てられていっているというのが、各地に出向いておられる関係者の実感のようだった。
 ボランティアでというのも、例えばボランティアで行事中に体調を崩された方が出た際の対策も何もないという当事者の現実の心配も聞いた。

 これらは福祉の話であるが、福祉や教育を「効率」で語ることは百害あって一利なしだと思う。
 「小さな政府」というのを金科玉条の如く語る政党や政治家がいるが、究極の「小さな政府は」独裁国家で、福祉国家はその対極であろう。
 来年度の介護報酬はさらに引き下げられようとしている。
 お友達に不当な値引きをし、トランプにはポンコツ軍事品を言い値で買うという政権が福祉のときだけはお金がないという。
 今のネトウヨは「お父さんお母さんを大事にしよう」とは言わないようだ。

    音楽に足が動いてる介護

2017年11月12日日曜日

アルデンテ

 「富士吉田のうどんは紐みたいに硬いらしい」と、ケンミンショーを観た妻から教えてもらった。
 いつも通りテレビの中のメンバーは「美味い」「美味しい」を連発したようだが、伝聞のせいか私には一向に美味しそうなイメージが湧いてこなかった。

 もうずーっと昔のことだが、大阪に讃岐うどんをバーンと打ち出したその名も「四國」といううどん屋が開店した。
 例によってマスコミは「これぞほんまもんのうどん」と騒ぎ立て、私の周りでも「うどんはやっぱり四國や」という人が続出した。
 しかし正直に言って私はあまり美味しいとは思わなかった。
 伸びたうどんみたいなのは論外だが、私は〝あえて言えば”腰などない大阪のうどんが好きだ。(あくまでも個人の感想です)
 その讃岐のうどんをさらに何倍も太く硬くしたのが「吉田のうどん」だというから、私のイメージでは「どうも」と言いたくなる。

 奈良にミシュランの星をかざした有名なイタリアンがあり、軽いランチなどのためにはそのカフェ部門の店がある。
 そこのパスタも、お客に「どうしましょう」と尋ねるまでもなく結構なアルデンテだった。
 「この硬さの味が判らん奴は田舎もんだ」と言ってるように私は僻んだ。
 正直、美味しいとは思わなかった。(あくまでも個人の感想です)
 ヘナヘナが良いと言っているのではないが、ものごとには程度というものがあろう。
 味の好みなど個人の自由だからそれを美味しいという人がいても全く問題なく、何も私の意見に賛同してくれというのではないが、「あんなに硬いのがほんとうに美味しいの」という素直な感想も言っておきたい。

 テレビの情報番組なるものではやたらに「甘い」を連発し、「美味い」「美味しい」を繰り返すが、何で生の野菜が甘いのか。甘いと美味いは違う概念ではないのか。
 そういえば視聴者はてっきり「情報」だと思って観ているが、それは実は「PR枠」というのがいっぱいあるらしい。
 そして庶民は、情報=真実だと刷り込まれ「自分だけ取り残されたくない」という欲求というか恐怖を煽られているのである。
 アルデンテの話で済んでいるだけならいいのだが、選挙や国政の問題でも同じベクトルが働いているように見えるのは考え過ぎだろうか。ほんとうはこのことを言いたい。

 「これは美味しい」というテレビの扇動に乗ってしまうと、選挙でも「勝ち馬に乗らなければ」という誘導に巻き込まれないだろうか。味も政治も自分自身で判断するのが大事だと言うのは引かれ者の小唄だろうか。
 BSプレミアムに「こころ旅」という番組がある。唯一主人公の火野正平さんがナポリタンやオムライスが大好きだというのには妙に共鳴している。

    一人っ子勝つまでやめない指相撲
    孫の夏ちゃんは年長さんだ。

2017年11月11日土曜日

イクジイの秋

   モクレンとプラタナスの葉っぱでお面を作った。
 
 紅葉と言えば以前に植えていたハナノキはピンクがかった紅葉が見事で自慢だった。
 それがテッポウムシにやられたので二代目の若木を植えたが今度のは紅葉にならない「黄葉」なので、少し騙されたような気になっている。
 若木を植えるとこういう「当てもの」みたいな面白味?がある。

 ともあれ、小さな黄葉の木が一本あるだけで庭が断然明るくなる。
 
 先日からベビーカーで降り難かったテラスに段差プレートを設営した。
 ホームセンターでいろんな材料を検討したが、結局段差プレートとセメントレンガで対応するのが一番廉価だった。
 そのうちに私の車椅子用のスロープになるだろう。

    幼児(おさなご)は木の葉のお面ポイっと投げ
 
 

2017年11月10日金曜日

正倉院展

 奈良が一番賑わう季節、正倉院展である。
 相変わらずの混雑だったので、気に入った数点だけの印象しか書けない。
 解説部分は奈良国立博物館の公式文書である。

 第1は、槃龍背八角鏡 [ばんりゅうはいのはっかくきょう]
   『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記載されている、聖武天皇遺愛の白銅鏡(はくどうきょう)。外形が八弁をかたどる八花鏡(はっかきょう)とよばれる形式をとる。鏡背面の中心には亀形の鈕(ちゅう)(紐(ひも)を通す孔(あな)のあるつまみ)があり、鈕を囲むように2頭の龍が絡み合う。龍の下部には鴛鴦(えんおう)の遊ぶ山岳があり、そこから飛雲が吹き出ている。龍の上部に配された遠山(えんざん)や、流れる雲の表現から、天空を飛翔する龍の姿が表された図様(ずよう)を示すものといえよう。唐からの舶載品(はくさいひん)と考えられる。
 直径31,7cmという大きさを実感できたのが実際に足を運んだ値打ち。

 第2は、玉尺八 [ぎょくのしゃくはち] 
   『国家珍宝帳』に「玉尺八一管」と記されているものにあたる聖武天皇ゆかりの尺八。玉(ぎょく)と呼ばれているが大理石製と鑑定されている。尺八は本来竹製であるが、大理石を用いながら3節の竹管を忠実に模している。宝庫には北倉に5管、南倉に3管の、計8管の尺八が伝わるが、本品はその中でも最も短い。
 大理石で竹そっくりの尺八そっくりさんを作った。
 竹よりも大理石製の方が値打ちがあると考えたか、職人が「どうだ!」と技を見せびらかしたのか。不思議だ。

 第3は、漆槽箜篌 [うるしそうのくご](漆塗の竪琴) 1張
   箜篌(くご)は竪形(たてがた)ハープの1種で、アッシリアに起源があるとされる。古代に中国・朝鮮半島・日本などで用いられたが、中世以降に姿を消した。
 本品は宝庫に伝わる2張の箜篌のうちの一つ。現在大破し残欠となっているが、槽(そう)とその下に続く頸・脚柱部をキリの一木(いちぼく)から作り、頸部にカキ材の肘木(ひじき)を挿し込む構造である。共鳴胴となる内を刳(く)った槽には、黒漆塗(くろうるしぬり)が施され、革で作った鳥獣文を貼付け、花文や山岳文を彩色するという、華やかな装飾がなされていたとみられる。彩色に使用されていた顔料(がんりょう)から、本品は日本で製作された可能性が高い。
 大破した残欠だったのでイメージが出来なかったが、明治期に製作された模造も展示されていたので素人にはよく判った。写真はその模造品。

 第4は、沈香把玳瑁鞘金銀荘刀子[じんこうのつかたいまいのさやきんぎんそうのとうす]
   全長16.1 把長7.8 鞘長11.2 身長6.2 茎長4.9
 刀子(とうす)は紙を切ったり木簡(もっかん)を削ったりするのに用いる文房具であり、また腰から提(さ)げて腰回りを飾る装身具としても用いられた。
 本品は鞘(さや)を玳瑁(たいまい)で飾った気品ある刀子である。沈香(じんこう)貼りの把は新補。鞘は木胎(もくたい)に金箔を押したうえに、黒い斑(ふ)の交じる玳瑁をかぶせて作られており、玳瑁の下に金色がのぞく伏彩色(ふせざいしき)の技法を見ることができる。鐺(こじり)(鞘尻(さやじり)金具)や鞘口には、唐草文(からくさもん)を透彫(すかしぼり)し鍍金(ときん)を施した銀製の金具を取り付ける。刀身(とうしん)は平造(ひらづくり)。鍛(きたえ)は板目(いため)で柾(まさ)が入り、刃文は直刃(すぐは)。茎(なかご)は剣先形(けんさきがた)を呈する。
 私もけっこう文房具が好きな方である。
 刀子はいわば「消しゴム」で、公務員の仕事の中には「書写」の占める割合が大きかった。
 こんなきれいな刀子は役人(公務員)の憧れだっただろう。

2017年11月9日木曜日

ネットで知ったこと

1、AERAdotが週刊朝日の記事(加筆あり)を報じている。
 題して、「小池百合子、前原誠司の失脚の裏に米国政府  在米日本大使館の内部文書を入手」である。

 ゴルフ、最高級鉄板焼き、米兵器の“爆買い”とトランプ大統領の“貢ぐ君”と化した安倍晋三首相。だが、その裏で米国を巻き込んだ憲法改正、野党分断などの日本改造計画が着々と進行していた。本誌が入手した在米日本大使館の報告書に記された米国の本音とは──。
 訪日中のトランプ米大統領は「日本は極めて重要な同盟国だ」と述べ、安倍晋三首相との5回目となる首脳会談に6日午後、臨んだ。

 安倍首相も「日米同盟の絆をさらに確固たるものにしていきたい」と応じたが、11月に発足した第4次安倍内閣の本丸はズバリ、憲法改正だ。

 政府筋は「安倍官邸は単なる9条3項の自衛隊の明記にとどまらず、『国際平和に貢献するために』という文言を付記して、自衛隊が海外で自由に集団的自衛権を行使できるという解釈にしたい」と明言する。

 元外務省国際情報局長の孫崎享氏も「米国が求めるように自衛隊を海外派遣できる環境づくりに北朝鮮の存在は絶好のチャンス到来だ」との見解を示す。

 総選挙後、在米日本大使館がまとめた内部文書を本誌は入手した。
《改憲勢力が発議可能な3分の2を確保した総選挙結果は米国には大歓迎の状況だ。むしろ米国が意図して作り上げたとみていい。民進党を事実上、解党させて東アジアの安全保障負担を日本に負わせる環境が改憲により整う非常に好都合な結果を生み出した》

 そして《日本が着実に戦争ができる国になりつつある》と分析。こう続く。

《米国には朝鮮有事など不測の事態が発生した時に、現実的な対応が出来る政治体制が整う必要があったが、希望の小池百合子代表が踏み絵を行ったのは米国の意思とも合致する》

 前出の孫崎氏は、16年6月に撮影されたラッセル国務次官補(当時)と森本敏元防衛相、小野寺五典防衛相、前原誠司前民進党代表、林芳正文部科学相、西村康稔官房副長官、自民党の福田達夫議員、希望の党の細野豪志、長島昭久両議員、JICA前理事長の田中明彦氏らが安全保障について話し合った国際会議「富士山会合」の写真を示しつつ、こう解説する。

「米国の政策当局者は長年、親米の安倍シンパ議員や野党の親米派議員らに接触、反安保に対抗できる安全保障問題の論客として育成してきた。その結果、前原氏が民進党を解体し、同じく親米の小池、細野、長島各氏らが踏み絵をリベラル派に迫り、結果として米国にとって最も都合のよい安倍政権の大勝となった」
 安倍官邸は圧勝した総選挙で、いかにも日米同盟によって北朝鮮問題が解決するかのような幻想を振りまいたが、先の在米日本大使館の報告書には“本音”と思われる記述もあった。

《むしろ、心配な点はイラク戦争に向かった当時と現在の朝鮮有事とでは、比べようがないほど米国民は関心がない。日本や韓国が(軍事)負担を負うことが確実にならない限り、米国は軍事行動には踏み切れないのではないか》

 安倍首相はトランプ氏との“蜜月”を武器に来年秋の総裁選3選を確実にさせ、「当初の東京五輪勇退の意向から、21年9月の任期いっぱいまで政権を全うする」と周辺に強気に語っているという。

 11月10日にも加計学園の獣医学部新設が認可され、安倍首相の「腹心の友」である加計孝太郎理事長が会見する段取りだという。

「森友問題は近畿財務局のキャリア官僚の在宅起訴で手打ちとし年内に両疑惑ともに終息させるつもりです」(官邸関係者)

 そして18年中に国会で改憲発議、19年春には消費増税先送り表明、同7月に参院選と同日の改憲国民投票のシナリオを描いている。

 米国の共和党系政策シンクタンク勤務経験もある外交評論家、小山貴氏はこう怒る。

 「こんなときにトランプ氏とのんきにゴルフをしている安倍首相自体、リーダーとして世界の嘲笑の的です。安倍政権は日米同盟を堅持するため、憲法9条をいじり改憲で自衛隊を海外派遣したいのでしょうが、政策の優先順位が違う。国民生活無視の政治を続けるなら即刻辞めるべきだ。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」 
(村上新太郎※週刊朝日  2017年11月17日号より加筆)


2、次は東京新聞の「本音のコラム」。こういうのを正論というのだろう。


3、次は私の皮肉だが、トランプは韓国で従軍慰安婦とハグをし、独島エビを食べたが、はてさて安倍君は押しも押されもせぬマブダチではなかったのか。
 ただのポチは韓国には嫌味を言うが、トランプにはキャンと言うばかりらしい。
 私は韓国にもトランプにも抗議などする必要はないと思っているが、あまりに惨めな日本国首相にはほとほと恥ずかしくなっている。
 大マスコミの言うとおりトランプの一番の盟友なら、「違う事は違う」と諫めるのが漢でないか。私の考えとは180度反対だが、少なくともそうでないと漢でないぞ。ああ恥ずかしい。
 (トランプ在日中の)昨日まで、天にも昇ろうかというほどお追従していた日本マスコミの根性ナシぶりにも輪をかけて嫌になる。
 アメリカのマスコミはトランプと闘い、地方選では民主党の勝利が目立っている。
 日本のマスコミは「神国ニッポン」に先祖返りしていないか。


4、最後に、お口直しで動画を見ていただこう。ただのお口直し。


2017年11月8日水曜日

憲法は押しつけ憲法

洗濯物で日向ぼっこのアキアカネ♀
記事とは関係なし
   2016年2月28日「憲法9条 幣原喜重郎が提案」の記事で私は次のように記述した。
 (前段) 安倍首相らは日本国憲法が連合国軍占領下で成立したとして毛嫌いをしているが、もっともっと重要なことは戦後70年間、日本国民がこの憲法を認め積極的に守ろうとしてきたことだと私は思っている。
 だから、憲法の成立過程だけをとって「押しつけだ」「そうではない」と語ること自体に大きな意味はないと考えるのだが、

 (後段) 国立公文書館に保管されていた安倍氏の祖父である岸内閣当時の憲法調査会の録音テープによると、焦点である9条・・戦争放棄については当時の幣原総理が提案したと述べられていた。また同調査会へのマッカーサーの文書回答にも、幣原総理が提案してきて驚いたこと、結局マッカーサーがそれを受け入れたことが回答されている。(再録おわり)

 ところがどうもタイトルと後段の文章には再考が必要かもしれない。というのは、11月5日「日米合同委員会」で紹介した講談社現代新書矢部宏冶著『知ってはいけない』に、「憲法9条のルーツをたどる」というするどい指摘があったからである。その内容を紹介する。

 ⑴ 1941年8月14日、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は、間もなくアメリカが対日戦に参戦することを前提に「米英が理想とする戦後世界のかたち」を宣言した2か国協定を結んだ。それが大西洋憲章だ。

 ⑵ 翌1942年1月1日、米英は大西洋憲章に基づきソ連と中国(中華民国)を含む26か国の巨大軍事協定を成立させた。その参加国を表す言葉が「連合国」で英語ではUnited Nationsだ。協定の名前は連合国共同宣言。

 ⑶ 連合国の勝利が確実になった1944年10月、米英ソ中の4か国は国連憲章の原案であるダンバートン・オークス提案を作成した。

 ⑷ ヨーロッパ戦線がほぼ終了した1945年4月から6月、⑶のダンバートン・オークス提案の条文を基にサンフランシスコで50か国が会議を行い国連憲章が作られた。
 こうして、軍事上の国家連合から平時の国際機関・国際連合が誕生した。
 このため、国連の英語表記は⑵の「連合国」と同じUnited Nationsだ。

 ⑸ 1946年2月、国連では第1回国連安保決議に基づく「国連軍創設のための五大国の会議が始まり、日本ではマッカーサーが憲法案執筆のための3原則を示した。

 ⑹ 以上のとおり、日本国憲法(特に9条)は連合国United Nationsが積み上げてきた議論と考えに沿って作られたものである。

 ⑺ 出発点であった⑴の大西洋憲章第8項はこうである。
 両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。
 もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威を与えるか、または与える可能性のある国によって使われ続けるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度(のちの国連)が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。

 ⑻ 以上のような理念でその後の国連軍を含む国連が成長していれば、日本国憲法は未来社会のモデル、世界の国々のモデルになっていたはずだが、冷戦、朝鮮戦争後の戦後世界はそうならず、結局、国連憲章106条の、国連軍が出来上がるまでの間は、安保理常任理事国五大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていいという暫定条項を悪用して、米軍が日本国を好き勝手に振る舞えるよう安保体制とそれを担保する数々の密約、そして日米合同委員会体制を築いて今日に至っている。

 詳細は是非ともこの本を購入して読んでもらいたいが、憲法前文や各所に⑴から⑷の文言がダイレクトに使われている。

 いわゆる改憲派が「押しつけ憲法」というものだから、いきおい護憲派は幣原喜重郎や鈴木安蔵をピックアップしがちだが、事実は冷徹に事実として見たうえで護憲の論を展開する必要がありそうだ。
 ただ、日本の知識人らが上述の諸文献を知っていて「この論はあなた方自身の主張であったはずだ」とマッカーサーを説得した可能性もあるかもしれないとの想像の余地があるが、可能性でいえばGHQのハッシー中佐らが連合国の当時の基本方針に沿って起草したと考える方が常識的かもしれない。

 憲法よりも上位に位置する安保体制と日米合同委員会の問題は問題として置くとして、差し迫った憲法9条改悪案に対して斬り結んだ論争をする上でいろいろ考えさせられる刺激的な本である。
 講談社現代新書矢部宏冶著『知ってはいけない』。とりあえず現代人必読の書だと思う。

2017年11月7日火曜日

笠餅のフォークロア

   義母に近い親戚の満中陰の法事に出かけた。農村の歴史ある(つまり長く転居していない)農家である。
 宗派は大和、河内に多い融通念仏宗(鎌倉以前の平安末期に成立。総本山は大阪・平野の大念仏寺)。
 まず最初に不思議であったのは仏壇の前に鎮座している座布団状のものだった。
 聴くと、49個の小餅とその上を大きく覆った直径50cmほどの笠状(ピザ生地状?)の餅だった。
 笠餅、あるいは四十九日餅などと言い、宗派特有の宗教儀式というよりも関西地方などの民俗:folkloe(少なくとも仏教民俗学の範疇)というのが正しいようだった。
 ただし、私は初耳だったし、文献で読むのでなく生きた民俗として目の前にあるのに法事を忘れて感激した。
 『新日本風土記』がここにある!と。

   読経と焼香を中心とした満中陰の主要な法要が終わった後、お坊さんがその笠状のお餅を切り分け、それを人形(ひとがた)に並べられた。
 菅笠を被り杖をついた人形は浄土に向かう旅姿だった。
 お坊さんは、人形には何種類かのつくり方があるので「これが正しい笠餅だ」というようにインスタなどにアップしないでと言われた(笑)。

   帰ってから民俗学の本などを引っ張り出すと、この人形になったお餅を吉祥餅とか釘餅というというのもあったが、今般のお坊さんの説明は「自分の病気の箇所や更に強化したい箇所を切り取って食べてください」ということだった。
 なので一番最初に進み出て腰のところを切り取った。

   後追いで文献を見ると古代インドの習俗だとか、故人の成仏祈願だとか柳田國男氏や五来重氏等々も交えて多数の諸説があったが、今般の場合は、こういう仏縁の機会にチャッカリ病気平癒も一緒にお願いする民俗行事のように私には見えた。
 亡くなって僅か49日で吉祥もないものだが、参詣者の病気を除いてくれる、病巣の釘を抜いてくれるというので吉祥餅や釘餅という名もついたのだろうか。
 浄土へ向かう途中で鬼などから釘を打たれる攻撃を受けてもこの餅でふわあっと防禦してくれるというユニークな説もある。

 重ねて言うが私はこの歳になるまで笠餅というものを知らなかった。
 義母の昔語りにも出てこなかった。
 最初の仏前への飾り方や、切り方、そしてそのいわれなどいろいろあるようだ。
 もし笠餅を経験されたりした方がおられたら、教えていただければ幸いだ。
 正真正銘『新日本風土記』の世界だ。

2017年11月6日月曜日

泥仏の開眼供養2

清水公照師の絵の一部
   2日の記事の主人公加藤住職を含む何人かが集まったところ、あの記事の「ネットによる泥仏開眼供養と写真」について大いに話が盛り上がった。
 ちなみに写真については、きちんとしたお勤めを終えた後、私のために何枚も自動撮影をしてくれたそうだ。
 「これが流行ったらお布施が入らない」というような笑い話も含め、みんなが住職に「ようやってくれた」とお礼のような称賛の声を浴びせかけた。
 住職も「お寺に親しんでもらえる一歩になるなら皆んな引き受けるで」と応えてくれた。
 少し無責任な気軽な日常会話だったがそういう風に盛り上がった。

 お寺に関しては私はある意味門外漢なので思い付きのようなことを言うのだが、今般のネットの供養はお寺のイメージを変える気がする。
 私自身はお念仏の文化で育ったせいか、お寺というか仏壇というか、それらにはどうしても陰気臭いイメージが拭えない。主観の話なのでご容赦!
 どうも仏教というと生きる指針というよりも亡き人を偲ぶイメージが濃く付きまとう。
 そのせいか地獄の話も地蔵和讃も好きではない。

 それに対して、各自が好きな仏像を持ち、形式的ではあるが仏らしく開眼の形をとり、それを大事にして日々感謝し真面目に生きようとするのは「前向き」な気もする。
 「何を言うか、だいたい仏教そのものが前向きなものだ」というご批判の言葉もあるだろうが、これは私の印象のことである。
 キリスト教会のゴスペルソングには現実生活への応援があるように感じるのだが、そんなパワーをお寺はどうしたら発揮できるのだろうか。私の言いたいことはここである。

 人生には悲しいこと辛いこともあるから、静かに祈る方々の邪魔にならない範囲で、お寺も明るく楽しい「人生力」を実感できる「ところ」になればいいなどと戯言を書いてみた次第だ。 
 今度会うときにはお供えぐらいは持参するつもり。

 少しだけ似たような話では、登録したお坊さんを葬儀会社が葬儀に「斡旋?」するような試行については新聞紙上でもどちらかというと否定的に論じられている。
 私のブログに度々登場した和道おっさんも強く否定されている。
 葬儀は単なるイベント、「事務処理」ではないんだと。
 その説は非常に真面目で原則的なものだと心から思う。
 だが私には、賛否両意見どちらも判るなあという気がして困っている。
 う~~む。

2017年11月5日日曜日

日米合同委員会

   矢部宏冶著 講談社現代新書『知ってはいけない(隠された日本支配の構造)』を読み終えてから大分経つ。あまりに内容が濃いのでブログ記事にできなかった。
 まあ「下手の考え休むに似たり」という箴言(しんげん)もあるから、その本から教わった日米合同委員会について少し書く。

 日米合同委員会というと、2011年の鳩山内閣崩壊のときに話題になっていた。
 鳩山首相が沖縄の普天間基地の県外・国外移転を考えていたとき、一挙に官僚トップや大手マスコミから激しいパッシングを受けて、「ああ官僚たちは選挙で選ばれた首相ではない、なにかほかのものに忠誠を誓っている」と呟いたこと、それが日米合同委員会であることは赤旗かなんかで読んだことがある。
 だが私も「そういうものかな」程度で済ましていた。

 その日米合同委員会の本会議は日本側6人、アメリカ側7人が出席して月にだいたい2回開かれている。外に30以上の分科会がある。
 本会議の日本側代表は外務省北米局長、代表代理が法務省大臣官房長、農水省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官。
 米側代表は在日米軍司令部副司令官、代表代理が在日米大使館公使、在日米軍司令部第5部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。

 ご覧のとおり、日本側が各省のエリート官僚であるのに対して、米側は大使館公使1人を除いて全員が軍人である。つまり、米国と日本国の委員会ではなく、米軍と日本国の委員会である。
 その歪さは、沖縄返還交渉を担当したスナイダー駐日首席公使が大使に対して「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国(=日本)の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません。ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです」(アメリカ外交文書1972年4月6日)と激怒していることからも明らかだ。

 この非公開の会合での決定事項が、首相よりも国会よりも憲法よりも優先されて政治は廻っている。
 対米従属というが、正確には「占領中にできあがった異常な国家」、対米軍従属の半主権国家というのが我が国の根本矛盾なのである。
 2012年野田首相がオスプレイの普天間配備について、「オスプレイの配備については、日本側がどうしろこうしろという話ではない」と言ったのは、日米合同委員会を知る当事者としては極めて正直な感想だったのだ。

 知れば知るほど怖くなる「隠された日本支配の構造」。史料の地道な積み重ねには説得力がある。
 このブログをお読みになった皆さん。
 長谷やんに騙されたと思って、講談社現代新書、矢部宏冶著『知ってはいけない』を是非とも購入していただきたい。
 このブログの何百倍も何千倍も内容は濃い。
 イバンカのスーツの色がどうだとか、トランプとのゴルフの料金はいくらだとかというようなニュースに何の意味があるというのか。

2017年11月4日土曜日

標的の村

   三上智恵監督の映画に「標的の村」「戦場ぬ止み」「標的の島風かたか」という三部作があるということだけは知っていたが私は全く観ていない。
 昨日、監督の講演と最新作の上映のチラシが配られたので話題になると、友人たちは「旧作品は観た」「今夜観に行く」「近々観に行く予定だ」という声であり、私の非文化性が明らかになった。

 上映の機会が少ない田舎ということもあるが、結局はわずかなチャンスを見逃してきたのだと思う。

 私が書籍で知っている「標的の村」は写真のものである。
 映画の主題と合っているかどうかは知らない。
 よって、手元の書籍に基づいて以下を書く。

 いま沖縄北部(やんばる)の高江集落をぐるりと取り囲むように6つのオスプレイ用の発着場(米軍と日本政府はヘリパッドと呼んでいる)が造られようとしている。2つは完成済み。
 高江の住民が反対運動をしているが、その理由は単に「近くに造られて迷惑」というようなレベルでなく、このヘリパッドは『高江の住民や家屋を標的(ターゲット)に見立てた軍事訓練をするもの』だからである。

 写真はベトナム戦争時のものであるが、小高い丘の上のまるで貴賓席から米軍の幹部たちが見下ろし、徴用された高江の住民がベトナム人(いわゆるベトコン)の格好をさせられ、その住民を掃討するというゲリラ戦の訓練をしているのだ。

 そして現在も、オスプレイは高江の住民の頭上60m、さらにはそれ以下で日常的に訓練をしている、
 ちなみに日本の航空法では、航空機は地上150m、人口密集地では300m以上と定められている。
 三上監督の映画は、こういった沖縄の現実を記録しているのだろうか。

 これが安保条約というものである。
 自公に希望、維新はこういう安保体制を守るという。
 いわゆる保守の方に問いたいが、これが誇りある独立国家ですか。これを従属と言わずに何というのですか。
 中島岳志氏が「ほんとうの保守は政策では共産党と一致する」と公言されているのも大いに私には肯ける。

2017年11月3日金曜日

憲法発布の日

   今日は文化の日。国民の祝日に関する法律第2条で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日としている。
 私が小さいときは「憲法発布の日」という言葉を聴く方が多かった。
 1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が公布され、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日の方が憲法記念日となっている。

 当時、参議院文化委員長だった山本勇造氏の回顧録では、元々、憲法発布は11月1日の予定であったが、施行日がメーデーと重なるという理由で直前に11月3日に変更されたのだという。
 その結果、山本氏ら参議院側は11月3日を憲法記念日とすることを強硬に主張したが、GHQ側が11月3日だけは絶対にだめだと言って結局文化の日で落ち着いたらしい。

 GHQ側が反対した背景には、11月3日が明治天皇の誕生日で、明治時代は「天長節」、昭和前期は「明治節」という休日であったためである。
 となると、うがった見方で保守派が明治節に憲法公布の日を合せたのではという意見もあるが、結果として冒頭のとおりの趣旨の祝日となり定着している。

 ところがところが、安倍晋三周辺の日本会議などは「文化の日を明治の日に改称しよう」と運動し国会請願書名などを行っている。
 その趣旨は、『11月3日は、明治天皇のお誕生日、かつての「明治節」です。この日は、日本国が近代化するにあたり、わが民族が示した力強い歩みを後世に伝え、明治天皇と一体となり国つくりを進めた、明治の時代を追憶するための祝日です。したがって、もともとは現行の「文化の日」などという曖昧な祝日ではありません』というものだ。

 ここには、日清、日露以降突き進んだ軍国主義の反省など全くなく、もちろんアジア諸国への侵略と蛮行の謝罪の気持ちなど欠片もなく、国内的にも基本的人権を踏みにじってきた警察国家を是とするものだ。

   先日の総選挙では自民党は憲法9条を改悪すると述べ、緊急事態条項つまり戒厳令条項を加えると公約した。
 北朝鮮の危機を煽り世論を誘導した結果、いわゆる改憲勢力が3分の2を握ったが、国民の大多数の声は憲法9条改悪を望んではいない。

 そういう国民の声を結集して、今日、東京を始め全国で9条改憲を許さない集会が取り組まれる。
 運動は諦めたときが負けるときである。
 私は午後からの大阪、中之島公園(剣先広場)の「総がかり集会」に、金子兜太・いとうせいこう選「平和の俳句」の大型名札を付けて参加しようと思っている。
 選んだ俳句は次のとおり

  あたたかき孫の手九条あればこそ 浅井安津子
  九条を知らずに眠る凍土の父 遠藤道雄
  声出るもの声あげよこの秋に 寺田美代子
  若者よ銃など抱くな人を抱け 荒木紀理子
  九条で地球まるごと包みたい 金田恵美子
  真夜中に悲鳴を上げる父がいた 小林礼子
  九条を吸ってエ吐いてエ生きている 金子明
  第九条そらにやすらふ雲雀かな 船津丸守

    憲法を引っ張り出したる文化の日

2017年11月2日木曜日

泥仏開眼

   昨日の記事で私が勝手に吉祥天だと名付けた泥仏(どろぼとけ)。吉祥天は鬼子母神の娘らしい。

 3月8日の「歴史発掘」で書いたとおり、堺にある泉昌山調御寺(ぢょうごじ)(明徳元年1390創建)の歴史発掘調査に立ち会わせていただいた折、同寺にはかつて鬼子母神堂があったことがわかり、「そういえば」とさらに調べると、永年の煤に覆われた鬼子母神像が出現、文字どおり出現されたのには感激した。

 そんな御縁もあり、この泥仏を私が勝手に鬼子母神の娘の吉祥天だと決めた今般、加藤住職から「写真のとおり泥仏開眼供養をしました」と送信があった。こういうのをほんとうの御縁というのだろう。
 ネットを通じての開眼供養などと笑うなかれ。ネットを通じてのお参りなどは既に常識になりつつある。
 だいたいが、神仏の力に距離などあろうか。

 実際、吉祥天であるかどうかなども問題ではない。
 想像力に乏しい凡人には、この泥仏を見るたびに「大難小難、大難小難」と感謝できればいいと思っている。
 加藤住職、ありがとうございました。

    秋うらら開眼されたか泥仏

秋晴れ

   台風のおかげでハロウィンの日は秋晴れだった。
 楝(おうち)の実が頭の上で輝いてイルミネーションのようだった。
 近所の保育園で仮装行列をしていたのをフェンス越しに孫と見た。
 プラタナスの大きな葉っぱに穴をあけて仮面を作った。
 ただイクジイだけの1日だった。

2017年11月1日水曜日

泥仏(どろぼとけ)

   奈良の骨董店などを冷やかすと、元東大寺別当故清水公照師作の泥仏が目につくが、年金生活者には少々ためらわれる値段のため購入は諦めている。
 泥仏は、清水公照師が当時兼務していた東大寺幼稚園の園長であった際、園児たちの粘土遊びに触発されて制作を始められたという。
 師の絵画同様、その虚飾の無いおおらかさが私は好きである。

 ちょっと寄り道をすると、清水公照師の時代は志賀直哉、入江泰吉、杉本健吉、須田剋太等々の文人や芸術家そして僧侶が奈良に集い、戦後経済成長に向かう「文化壊し」に抗って仁王立ちをした時代である。
 社会や権力に対しても言うべきことは言い、同時にその根底には童心のような信仰・・というのに、私はただただ敬服する。

 先日、東大寺大仏殿において、「東大寺福祉事業団 こども作品展 チャリティー作品展」があり、その中に写真の泥仏があった。
 清水公照師の泥仏を知らない人たちが「怪獣かな」「宇宙人かな」などと言って通り過ぎていったのも可笑しかった。

 作者は松丸弘道、三木理恵、杉原はるみ、谷井芳山、松本政昭、新佳三、尾西楽斎の各氏の内の何方かかボランティアの方に聞いても判らなかった。
 わかれば教えてほしいが、わからなくてもいい。
 作者の名前やひいてはその値段で価値を計るのは卑しい。
 私は単なる置物ではなく「私の仏さま」(吉祥天?)にしようと思っている。
 もちろん清水公照師の作ではないが、その心を引き継いだ作者のものだろうから「奈良の文化を守るために微力を尽くします」と泥仏に誓っている。

    植物は命を削りて進化せり
    稲垣栄洋農学博士の講義を受けて

2017年10月31日火曜日

72年前

   「歳をとると時の流れが速い」というのはジャネーの法則と言われている。
 「生涯のある時期における心理的な時間の長さは年齢に反比例する」その理由は「50歳の人間にとっての心理的な1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間のそれは人生の5分の1だから、50歳にとっての10年は5歳児の1年に、5歳の1日は50歳の10日に当たる」というものである。
 厳密には違和感がないこともないが、感覚的には何となく納得したりする。

 同じように、いささか思いつきだが、自分が誕生する以前の歴史を心理的に納得するのは大いに年齢に比例しているような気がする。

 72年前の戦争の時代のことである。
 例えば戦後1期生の私が小さい頃は、堺の街のあちこちが焼跡であった。
 洋館建ての家のあった跡地には綺麗なタイルが落ちていてそれは子供らの玩具であった。
 初詣やお祭りの参道には白い着物と軍帽をかぶった傷痍軍人がアコーディオンを弾いていた。
 何よりも、小学生になってからも町内で、外地から引き上げてきた軍人の歓迎会があった。
 それでも、客観的時間でいえばホンの10年少し前の「戦時中」というものを私は実感することは少なかった。

 それが20歳くらいのときはどうかというと、私が戦史などにあまり興味がなかったせいもあるが、「人間の条件」や「戦争と人間」などの素晴らしい映画に出会ったりしていたのだが、やはりどこか「歴史の教科書」もっと極端にいえば「時代劇」という感覚だった。

 さて先日から、集英社新書の2冊、西村京太郎著『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』、澤地久枝著『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還』を読み終えた。
 そしてこれが、どういう訳か自分が体験したかのように感覚的に理解できるのだった。
 つまり、歴史を感覚的に解るには一定の年齢がいるのかもしれない。
 しかし、だとすれば、人間が先人から学ぶということはほとんど不可能になってしまうから、そういう解答を是とするわけにはいかない。
 私が2人の体験を感覚的に理解できたのは、下地になるいろんな書物を読み重ねてきたからだろうし、その上に歳をとった、つまり様々な経験を積んできたからだろう。

 となれば、振り返ってみて、シニア世代が戦後民主主義をどう築いてきたか、どんな苦労や紆余曲折があったかを、今こそ書いたり話したりし続けなければならないように思う。
 言いたいことは、若い世代にとって戦後民主主義の成立過程も、若い私が戦前について抱いた感情と変わらないのではないか。
 そんな(若い)自分たちに対して「近頃の若いもんは」と言われてもどうしようもなく、事実、私たちは新人類と言われてきたではないか。

 職場でいうと、女子職員が日曜に出てきて便所掃除をするのは当然で、朝はお茶くみをして夕方には洗い物をしていた。それでも昇進は男子より遅かった。
 そんな理不尽はごろごろあって、それを青年婦人部は一つひとつ改善させてきた。
 だから昨日今日就職してきた女性が当然にそういうことを理解していると思うのはシニアの頓珍漢で、知らないのが当たり前なのである。

 先日の選挙の分析で「若者の自民党支持が多い」というのを各紙が報じているが、その責任は若者にはないのでないか。
 それよりも、若い世代に向かって書いたり話したりせずに、経験主義を繰り返すシニアこそ問われるのではないか。

    ハロウィンの季語にあるのに驚けり

2017年10月30日月曜日

髪を染めさす

 大阪府立高校で元々茶色い髪の女高生に「黒く染めよ」と指導し、ペナルティーとして修学旅行にも行かせなかったらしい。
 私にはその教育方針があまり理解できない。

 以前に書いたが、「建国記念の日」に橿原神宮に行った際、境内を軍隊コスプレのいろんな右翼団体が行進をしていたが、右翼に批判的な老教師がそれを見て「もっとしっかり脚を揃えんか!」と憤激していたのが可笑しかった。私は老教師を支持する。

 で、教育課程である種の決まりが定められ、それを躾けるのは当然なのだろう。と、そこまでは私にも異存はない。
 だがしかし、私事ではあるが、私は「〇〇牧場」と称された高校を卒業したし、子どもたちは制服の無い公立中学を卒業した。
 だからと言って社会を踏み外した気はさらさらない。
 「そんな甘いもんやおまへんで」と公立中高の先生方はいうかもしれないが、キツイ枠に囲い込んでおく方が「指導」がし易いという「ホンネとタテマエ」がないだろうか。

 髪の毛が茶色であったら学校生活にどんな支障があるのだろうか。「そんなことを許したら、私も私もと嘘を言って髪を染める子が続出し、そんな興味に夢中になって学習がおろそかになる」ときっと言われるだろうが、ほんとうにそうだろうか。
 トモエ学園は夢だろうか。

 太平洋戦争中、首相で陸軍大臣、参謀総長東條英機に有名な話がある。
 飛行学校で「敵の飛行機をどうやって落とすか」との質問に、「戦闘機で向かい機関銃で落とします」と言った学生に東條は怒って、「それではだめだ。精神で落とすんだ」と叱ったという実話である。

 何か近頃の教育は、受験勉強の技術と、強いもの・長い物に巻かれろと教えていないだろうか。あるいは「制裁だ、制裁だ」と言えば東アジアに平和が来るように信じるような短絡的思考を培養するような基礎教育?
 先日の選挙でも若い者の政権支持率が高かったと言われているが、全く無関係のことだろうか。

 蛇足ながら私は、2段目のセンテンスで書いたとおり、暴力を肯定したり、一切の指導を否定するような、かつてのいわゆる「解放教育」論を擁護しているものではない。

2017年10月29日日曜日

四つ葉のクローバーも兎の爪も

 1950年代はアメリカンポップスを日本語でカバーした曲が多かった。
 〽 四つ葉のクローバーも兎の爪も 僕には用がないあなたがいるから・・という訳詞の歌もあったが、曲名も歌手も全く思い出せない。
 ご存知のお方は教えてほしい。

 「兎の爪」はアメリカインディアンのお守りだと聞いている。
 この歌い出しの歌詞を憶えていたので数十年も前に兎の爪のキーホルダーを買い、数十年後の今も使っている。
 捨てればいいものを使っているので自業自得かもしれないが、曲名等を思い出せないことで少し気分が悪いままだ。

   クローバーというと、何年か前に自治体から緑化運動とかで「珍しいクローバーの種」の配布があった。
 写真のとおりグリーンカーペットになっていて文句はないが、これはどう見てもクローバーではなくオキザリス(カタバミ)である。

 オキザリスというと、これも何十年も前にピンクの花の大型のオキザリスを買った。
 九州の農家の親戚に「こんな雑草を庭に植えてるの?」と驚かれたとおり、物凄い繁殖力で、移転してからも樹木等の根に付いてきたものが今も今の家で繁殖を続けている。
 種類にもよるがカタバミの繁殖力にはほとほと参っている。

 唯一よかったのは銅鏡を磨くのにシュウ酸を含むカタバミがいっぱいあったので、古式どおりに再現できたことぐらいだった。

 昨日の記事のコメント欄で「昆虫のことなど解っていないことだらけだ」という主旨のことを書いたが、同じように植物もそうである。
 静岡大学農学部稲垣栄洋教授の講演を聞いたことがあるが、「縄文杉のような長寿の樹木と一年草のタンポポのような雑草とどちらが植物として進化系であるか、雑草の方である」というのは、長寿に向かって血眼になっている人類への究極のアンチテーゼのようだった。

 稲垣講演で考えさせられたもう一つは、「人間はどうして花を美しいと感じるのか、生物学的にその理由は見当たらない」というのも、挑戦的な問題提起だった。
 いずれも哲学の領域かも知れないが、現代人はもっと「己が無知を自覚すべきではないか」と反省させられた。

    二月堂鬼子母神前の柘榴の実

2017年10月28日土曜日

小春日和

 旧暦だとまだ9月だが、今年は一旦寒い日があったから、アバウトで言ってもう小春と言ってもよいだろう。小春は冬の季語。
 昨日(10月27日)は「明日からは台風の影響で天気が崩れる」という天気予報が信じられないような、穏やかな小春日和で、年末や年度末を目の前にした「節句働き」のように虫たちがゆく秋を惜しんでいた。

   働き者の代表選手として自他ともに認められている?写真のミツバチは、体色の黒さから近頃では珍しいニホンミツバチだろう。
 TPPの未来予想図ではないが養蜂業等のためにヨーロッパから輸入されたセイヨウミツバチに徹底的に追いやられている。
 ところがそのセイヨウミツバチがいま世界的に大量に減少していて養蜂業者が困るだけでなく多くの野菜や果樹の受粉が出来ずに大問題になっている。
 実際、私の実感からしてもミツバチを見る機会は大幅に減っている。
 原因は農薬のネオニコチノイドだと言われている。
 あの氷河期さえ生き延びてきたミツバチが人間の手によっていま危機に瀕している。
 ほんとうにこんな政治が続いていいのだろうか。

   2枚目の写真は、スズメバチ科のセグロアシナガバチの♀♂。
 最初は狩り(捕食)かと思ったが、しばらくしてから楽しく分かれて行ったので♂と♀だと考えた。・・・?

 義母は小さい頃蜂の子を捕って食べたという。
 遠い記憶を聴くので分かり難いところもあるが、そのジェスチャーや話しぶりから、長野県などで有名なスズメバチの蜂の子ではなくアシナガバチの蜂の子だったようだ。
 「こうやって摘んで食べまんねん」と楽しそうな顔で教えてくれた。そのまま生で食べたらしい。

   3枚目の写真はチャバネセセリと思う。
 小さい頃は蛾なのか蝶なのかわからなかったから、勝手に「蛾蝶」と呼んでいたが、セセリチョウという蝶である。
 よく見るときれいな色をしている者もあるが、一般には小さくて地味なので昆虫少年には人気がない。

 蝶といえば、今年は庭のフジバカマを全部抜いたので、アサギマダラが来なくなった。
 アサギマダラだけでなく、毎年のようにわが家のアサギマダラを一緒に見ながら蝶や花の話をしていた名を知らない老女もとんとこの道に来られなくなった。
 わが町内から歩いて駅前に行く場合はほとんどの方がわが家の前を通るのだが。
 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 とはよく言ったものである。

    嵐まえ小春日和のむし談義

2017年10月27日金曜日

些末な一夜

   勤めていた職場の半ば公式な方のOB会に参加した。
 そこで、予想もしていなかった先輩、同輩、後輩から暖かい言葉をいっぱい頂いた。
 
 立派な後援会ニュースやったな、
 ニュースは大変やったやろ、
 ニュースの送付に恐縮している、
 メールをありがとう、
 メールは返信しなかったがそのとおりにしたよ、
 Yさんから電話があったよ、
 家内にも勧めたが当選せずに落胆していたよ、
 残念やったな、
 リベンジやな、等々等々等々・・・。
 まるで私の激励会のようだった(そんなことないか?)。

 私も、大先輩のそれも幹部であった方々と飲むのは少し社交的な気分がないと言えば嘘になる。
 しかし、現役時代労働組合派と誰にも思われていた裏では、おかしい言い方だけど一面では認められていたんだと自惚れた次第。
 気持ちの良い夜風に吹かれながら帰路についた。
 アオマツムシの声はほとんど消えたが、ほんとうのマツムシのチンチロリンという声があちこちから聞こえてきた。

2017年10月26日木曜日

捲土重来

長江
   近畿(比例)でいうと、元気で愉快な清水ただしさんを衆議院から失ったのは惜しい。
 兵庫出身の堀内照文さんは近所の演説会で話を聞いた程度だったが、立派な紳士というか若いパパという感じで、必ずやもう一度国会で働かせたい好男子だ。

 そして沖縄4区ではオール沖縄・無所属の仲里利信さんの惜敗が残念無念だ。
 2014年9月10日「ウチナーンチュの話」で書いたが、そのとき(2014年)が初めての出会い(といっても舞台上の氏の話を聞いただけのことだが)であった。

 元県議会議長、元自民党県連幹事長とはどんな方なのだろうと想像を巡らせていたところ、登壇されたのは予想に反して?飄々としたおじさんだった。
 力むことなく語られた沖縄戦の経験談、
 真っ暗なガマの中で小さい妹たちが泣くので兵隊が母に毒入りの握り飯を渡したこと、
 迷惑がかかるからと家族でガマを出て乞食のように逃げ回ったこと、
 戦争中の米軍の残飯で辛うじて生き延びたこと、
 ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキに、ノーモアオキナワと重ねて記憶に残されねばならない現代史だと強く考えさせられた。
 同時に「この人は心から支援したい」と思ったものだ。

 結局、米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設反対という公約を掲げて自民党の各選挙を闘い、石破幹事長と一緒に全県を歩いたりしたが、国会議員や知事の公約違反(辺野古容認)を批判したので自民党を除名された誇りあるウチナーンチュだった。

 ちょっと横道だが2014年に感じたことは、こんな愛嬌のある(失礼)魅力的な人物を相手側の中心に迎えていた沖縄の革新勢力も大変だったなあと変な感心をしたものだった。
 仲里さんはもう引退されるということだが、対米従属下の日本全国の矛盾を凝縮された沖縄の反戦平和の戦いの伝道者となって元気に進んでいってもらいたい。

 さて、九州長崎が地元である真島省三さんのことは正直にいうとあまり知ってはいなかった。
 しかし、今回の選挙後の次のようなSNSを見て、遅きに失したが惜しい九州男児を落としたと悔しさが湧いてきた。

 10月23日 22:35 真島省三·
 今日は一日、九州沖縄のみなさんにお礼の電話をしました。
 床につこうとして、ふっと涙が。
 駆け抜けた2年半に出会った党内外のみなさんの顔が走馬灯のように浮かんで、枕を濡らして嗚咽しています。
 必ずや必ずやと、明日から頑張ります🎵
 10月23日 23:07真島省三
 『強がりの九州男が泣くときは、なんちかんち言いなんな❗なんです。
 次は目にものみせちゃるって覚悟のない涙は流しませんから❗』

 労働組合の九州の友人たちの顔を思い浮かべながら、こういうことだろうなあと熱いものがこみあげてきて困った。

 ところで、私が「SNSで発信しよう」と訴えても、友人たちにはなかなか理解してもらえない。「そんなん仲間内だけのおしゃべりとちゃうのん」「どんな効果があんねん」という具合だ。
 確かにSNSだけで世の中が変わるわけではないだろうが、市田さんのFBを読んだり、こういう真島さんら候補者のつぶやきを読むと、その人間的魅力に感動し、自分も頑張らなければと老骨に鞭を打つのだ。それだけでもいいではないか。
 効果やなんて成果主義ですか??
 「新しいことに挑戦しない理由を、なんちかんち言いなんな」「やってみなはれ」だと思っているが独りよがりだろうか。

 勝敗兵家事不期  包羞忍恥是男児
 江東子弟多才俊  捲土重来未可知  ――杜牧
 この杜牧の詩、中国文学者の村上哲見氏の訳によると「一時的に惨めな思いをしても、それをじっと耐え忍ぶのが男というものだ。・・落ち延びさえすれば捲土重来(まきかえし)ができたかもしれないのに」(題材は項羽が長江を渡らずに敗れたことを詠っている)である。土煙をあげて再びやって来ようぞ。

    嵐去り団栗の川すくむ足

2017年10月25日水曜日

オニヤンマの番組

   10月6日に『トンボのすべて』という記事を書いたところ、3日後の9日に、友人のひげ親父さんから「今朝、Eテレで俳優の香川照之さんが出演する番組で「オニヤンマ」をやっていました。彼は有名な昆虫マニアでこの番組も時々見ますが半端ないマニアぶりが面白いです」というコメントをいただいた。
 時々放送されるこのシリーズは面白いので私もよく見るのだが、残念ながらこの「オニヤンマ」は見逃していた。

 そうしたところ10月21日朝、「今日4時30分Eテレで再放送あり」と親切なメールがあり、選挙運動最終日でもあり妻に「録画しておいてほしい番組があるのだが」と言ったところ、題名も聞かずに「もう予約してあるよ」と返事があった。

 妻の自慢(おのろけ)など「犬も食わない」以上のことだろうが、長年連れ添ってきただけのことはある。文句なく「はは~っ」とお見それした次第。

 番組名は「香川照之の昆虫すごいぜ」。小さな扇風機をオニヤンマの♀と勘違いして♂がホバリングするところを映像に収めるはずが、本能的に香川照之が捕ってしまったのには大いに笑った。放送事故のレベルだろう(笑)
 オニヤンマよりもギンヤンマの方が捕りにくいとの香川のコメントにも同意。
 時速60㎞で急旋回するヤンマの状況を香川照之が自動車に乗って再現するのが適当かどうか疑問は残るが、まあまあ雰囲気は伝わった。

 7月11日に書いたことだが、今年の夏もモリアオガエルの観察を楽しんだ、
 その小さな池にオニヤンマがやってくるのでダブルで楽しんだ、
 モリアオガエルもオニヤンマも好きである。
 しかし・・・オニヤンマが産卵すると、そのヤゴがモリアオガエルのオタマジャクシを襲うのである。
 これは自然観察の常ではあるが、どうしてもより好きな方に肩入れをしてしまう。
 そしてどちらとも言えないときには、的外れな例えであるが、諸行無常だと呟くのである。

    葛原にやんま追うのを見て笑ふ