2017年11月19日日曜日

直径110mの円墳

   写真は11月16日付け朝日新聞だが、富雄丸山古墳が日本一大きな円墳であることが解ったという記事である。
 場所は35年ほど前に住んでいた富雄という地の近くであり、その近くを自動車で行き来していたこともあるが、この古墳のことは全く知らなかった。
 私が趣味で古墳など古代史に興味を持ったのはズーッと後のことだ。

 それにしても、奈良市埋蔵文化財調査センターが4世紀後半(古墳時代前期)と推定し、三次元計測で、直径110m、張り出しを含めると全長120mの円墳というと、そもそも最古級で隔絶した大きさの前方後円墳としてまた卑弥呼の墓ではないかという意味でも有名な箸墓古墳の後円部の直径が約150m、時期が一致する4世紀後半の天皇陵古墳と認められている、奈良市尼ヶ辻の宝来山古墳(伝垂仁天皇陵)の後円部の直径が123mであるから、なかなかの有力豪族の墓であることは間違いない。

 4世紀は中国大陸が分裂時代であったため、3世紀の邪馬台国、5世紀の倭の五王時代と比べて「謎の4世紀」といわれているが、太和4年(369年)銘の石上神宮七支刀もあり、神功皇后の百済侵略などある種激動の時代であったといわれている。
 富雄丸山の被葬者とその後裔の豪族がいったい誰なのか。ゆっくり楽しく検討していきたい。
 西の矢田丘陵を超えると平群(へぐり)氏の地となる。
 奈良市埋蔵文化財調査センターが来年度から発掘調査を始めるらしい。

2 件のコメント:

  1. わこたんのご主人からいただいた「友史会遺跡地図」に載っていましたね、最近は実家の近くの八尾市弓削町の「由義の宮》基壇跡の発掘もあり身近な発見に門外漢の私でもワクワクします。

    返信削除
  2.  「友史会遺跡地図」そのとおりです。
     「由義の宮」も全く同感!
     古代というと奈良県のイメージがありますが、生駒谷(平群)から信貴山をちょっと超えたら八尾です。
     大和と河内(和泉を含む)は一緒に検討する必要が大いにあると思っています。

    返信削除